智多星 呉用 ――梁山泊の司令塔


★表の見方
宿星 天機星 順位 3位
登場 14回 入山 19回
他の呼び名 学究(字・14) 加亮先生(道号・14)
出身地 東渓村(14)
年齢
家柄 もともと東渓村の人(14) 親族 ひとり身(120)
義兄弟
入山前 村の塾の先生(14)
身長 得物 ・二本の銅錬(14)
容貌・風貌 ・眉は秀で顔は白く、長いひげをたくわえている(14)
・口ひげと顎ひげをはやした色の白い男(18)
性格・人物像 ・平生機巧(機敏)心霊(怜悧)なり(14)
・太っ腹(15)
・情誼がある(15)
特技 ・孫子呉子の兵法を多少は読みかじった(20)
・たくらみ(65・68)
・よく兵法に通じ、たくみにいくさの機をつかんであやまることがない(76)
入山後の持場・職分 【持場】
山頂の寨(51)(相役:晁蓋・宋江)
→忠義堂(60)(相役:宋江・公孫勝・花栄・秦明・呂方・郭盛)
→正殿の東の棟(71)(相役:宋江・呂方・郭盛)
【職分】
軍師(20)
機密をつかさどる軍師(71)
 昔、知識人は若い頃に広く世間を渡り歩いて見識を広げていたという。呉用も遊学をしていたようで、東京・北京のあたりにも行ったことがあるという。阮氏三兄弟や蕭譲・金大堅、戴宗に知り合ったのも遊学中だろう。呉用が学んだことはもっぱら軍略のことばかりのようで、自身も「孫子呉子を読んだ」と言っている。梁山泊に108人が揃ったとき(71回)の、梁山泊の様子をうたった美文に「文学には蕭譲がいるばかりで…」とあるので文学のほうに長じているようではないし、四書五経の教えを信奉していれば生辰綱の強奪に参画するはずがない。
 梁山泊には呉用・公孫勝・朱武の三人の軍師がいるが、得意分野が違う。公孫勝は軍師の役職になっているが作戦をたてることはあまりなく、道術が専門だ。朱武は軍師らしくはあるが、陣形の専門家である。その他の作戦は戦略・戦術から工作まで、呉用が考えることが多い。まさに梁山泊のブレーンだ。
 呉用は宋江に心底尽くしていたようである。幼馴染の晁蓋が死んだとき(60回)も冷静だし、ともに生辰綱を強奪した仲の劉唐が戦死したとき(115回)の様子は冷徹ですらあったが、すべては感情の起伏が激しい宋江を落ち着かせるためのものだった。呉用は何がきっかけで、晁蓋以上に宋江に心服するようになったのだろうか。


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