BC592  9.【問天】



賭けについて、郤克と士燮の会話。



■目次■
1.【憂煩】 2.【回顧】 3.【解煩】 4.【睦親】 5.【解桎】 6.【転】
7.【反風】 8.【博奕】 9.【問天】 10.【再会】 11.【負心】 12.【明鑑】


40
41
42
43
44
45
↑【画像クリックで次ページへ】



*魴=前もちらっと出しましたが、士燮の弟の士魴のこと。
*中行伯=荀庚のこと。当時上軍の将(3位の卿)で、士燮はその佐。
*(中行伯の)親父=荀林父。ごめん…と思いつつ…でも、そんなイメージが抜けないのです;


ヒツの戦いでできた欒書様のトラウマは、多少なりともあると思う(斉攻めに否定的になる強い要素ではありませんが)。
ヒツの戦いの晋軍の負けっぷりはヒドイものだったけれど、特に酷かったのは、趙朔・欒書の下軍に間違いない。
士会・郤克の上軍は、予め士会が配しておいた伏兵を使って無傷で撤退し、
荀林父・先コクの中軍も、中軍大夫の趙嬰斉が船を集めてあったおかげで、逃げることはできた。
下軍は、上軍のような備えもなく、中軍のように逃げる術もなかったのだから、相当な惨状だったと思われ、トラウマにもなるだろうと思われる。
また、下軍の佐として、そのような事態をどうにもできなかった自分に対する強い自責の念もあるかもしれない。

何故郤克がそれを知っているかというと、現在自分の佐を務めている荀首から聞き出しているからです(ということにしてあります)。
荀首は、ヒツの戦いでは下軍大夫で、あの惨状の中にあった人であり、我が子の荀オウを敵方に捕らえられています。
ヒツの戦いでともに辛さを経験した荀首に対してなら、欒書も苦衷を言う事ができるでしょう。
荀首は後に執政にはなっていないものの、なかなかの人物だったようですしね。



ギャラリーへ  ホームへ