【同人再録】BC615河曲の戦い+α(2/3)



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*元ネタのご紹介とか妄想とか*
※提示したページ数は、漫画の右下や左下のノンブルのページ数です



【20ページ】

■「趙穿を捕らえられたら秦は一卿を得ることに~」について

これは『左伝』文公12年にある趙盾の台詞をそのまま引っ張ってきたものです。17ページの六卿表をご覧いただければお分かりかと思いますが、趙穿はこの六卿に含まれません。にも拘らず趙盾が趙穿を指して「卿」と言っているのは、軍事に関する権限のある六卿の他に、軍事権のない卿もいたんじゃないの?と、『左伝』に注をつけた杜預が言ってます(文公12年)。また、『左伝』僖公33年の記事にも、郤缺が軍事権のない卿に任命されたと記されており、それと同じなのではないかとも言ってます。

なお、郤缺が軍事権を有する卿、いわゆる六卿の一人になったのが確認できるのは、『左伝』文公12年の、この河曲の戦いの時です。おそらく、令狐の戦いで先蔑が秦に亡命した後、または『左伝』文公9年に晋の卿大夫たちが互いに怨みを含んで殺し合い、6人もの卿大夫が死んだ後に、六卿の席のひとつを占めるようになったのではないかと思います。なお、文公9年の乱の際には、士会の叔父に当たり、晋の司空であった士縠(しこく)も殺害されています。



【21ページ】

■河曲の戦い

事の詳細は『左伝』文公12年にあります。17ページ以降は、だいたいその記事に沿って描いています。なんやかんやで両軍は対峙しますが、戦いらしい戦いはせずにそれぞれ引き上げたようです。『左伝』は「交綏」という言葉を使ってますが、これはいつでも後退できるように戦う様らしいです。

■河曲の戦いの夜の出来事

まんがの方ではスッパリ端折ってしまった出来事です(汗)。

戦いのあった日の夜、秦の使者が晋の陣営を訪れて、「まだ戦い足りないので、明日も戦いましょうね!」と告げます。しかしこれは、撤退をごまかすための嘘。臾駢は、使者の目がキョロキョロしていたのに気付き、「あの使者は嘘をついている! 秦は撤退するに違いないから黄河まで追いかければ撃破できる!」と看破するのですが、アホの子趙穿と下軍の佐の胥甲がそれを邪魔して、「戦死者の遺体も回収せずにまた戦うなどヒドイじゃないか!」と軍門の前に立ちふさがり、せっかくのチャンスを潰してしまいます。

なお、胥甲は後にこの時の行為を咎められ、衛に追放されてしまいます(『左伝』宣公元年(BC608))。しかし趙穿は特に罰も受けず、『左伝』宣公2年に君主の霊公を弑するという大事件まで起こしてしまうのです(その弑君の汚名をかぶったのが趙盾)。出てくるたびにダメなことばかり繰り返す奴もなかなか珍しいです…。

■瑕邑

瑕は晋の邑。河曲から撤退した秦軍は、この邑を攻撃しています。しかし秦が瑕を取った訳ではないようで、翌年晋がこの瑕邑に詹嘉(せんか)という大夫を派遣し、秦との国境あたりにある桃林塞という要塞を守らせています。この桃林塞は、後の潼関だそうです(by杜預注)。三国志好きの方なら聞き覚えのある地名ではないでしょうか。



【23ページ】

■穆公の死と賢臣の殉死

康公の父である穆公が亡くなった際、秦の賢者三人を殉死させたらしいことが『左伝』文公6年に見えます(そして、それを悼んで秦の人たちが作ったのが、『詩経』秦風の「黄鳥」の詩だとか)。1コマ目の康公の言葉は、この件を指しています。

ただ、西乞術(蹇叔の子)のような賢臣が康公に仕えていたのは確実なので、賢臣が誰もいなくなった訳ではないです。繞朝も賢臣の一人として数えていいかと。

士会が秦に亡命してきたのは、穆公の死の翌年。即位して間もない時期に得られた士会を康公が重用したのは、士会自身の魅力に加えて、そうした過去の事情も絡んでいるのではないかと思います。

■諸浮の密会

詳細は『左伝』文公13年。晋の六卿による、晋からの亡命者対策会議です。議題は「秦には士会がいて、狄には賈季がおり、次々に事件が起こるのだがどうすべきか」。

中軍の佐の荀林父は、狄に亡命した賈季は外交に優れ父(狐偃)も功臣だから、賈季を晋に呼び戻して用いるべきだと主張。しかし郤缺は「賈季は乱をなし(襄公の後継者争いを起こした件を指す)、その罪は大きい。隨会(士会のこと)がよい。彼は賤しきに在っても恥を知り、柔和であっても辱められない。しかも智謀があり、罪も無い」と言って、士会を連れ戻すのがよいと主張します。「士会に罪がない」という言葉は、裏を返せば「士会の亡命の件については、公子雍を廃した趙盾に罪がある」という意味にも取れる気がします。

まんがの方では荀林父の主張をスッパリ切り取ってしまったのですが、『左伝』には以上のようなやりとりが記されています。そして、士会を晋に連れ戻す事に決し、魏寿余の妻子を捕らえたふりをして、魏寿余を秦に送り込み、士会を誘拐(にしか見えない…)するのです。






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