凡例: 【1】氏/名/字/諡(死後つけられるおくり名)と、古典中に見える主な呼び方 【2】『左伝』『国語』『史記』等から分かる情報をかいつまんで 【3】うち設定(性格、周囲の人との相関など) |
■郤克(げきこく) 【1】郤/克/伯/献 呼び方は郤克・郤伯・郤子・郤献子・郤孟(みやぎたに準拠)。 【2】士会の次の執政。郤缺(げきけつ)の子。外見にコンプレックスがあり、斉に使者として赴いたときに斉の婦人(蕭同叔子)にそれを爆笑され激怒、鞍の戦い(BC589)で斉をたたきのめして復讐した。 【3】薄い髪色、赤い眼など、生まれつき容貌特異。小柄で非力だが敏捷。感情的で暴走しがち。空気は読まない。が、戦は上手。 兄貴肌の人物が好きで、士会にべったり。一族の好漢・郤至を気に入っている。欒書とは性格が合わず犬猿の仲。でも、妙に息が合った即興コントのような喧嘩をするので、仲がいいのか悪いのか分からない。身長設定130cm。 |
■欒書(らんしょ) 【1】欒/書/伯/武 呼び方は、欒書・欒伯・欒武子。 【2】郤克の次の執政。文武に優れ、民に慕われる有徳の執政だが、執念深いのが玉に瑕(きず)で、政敵の郤氏を滅ぼし(BC574)、無道の君主・厲公(れいこう)を弑殺した(BC573)。清貧。■ 【3】人の好き嫌いが激しく、空気読まない奴らが嫌い。沈着そうだが激情家で、特に怨みの感情を抑制できない。頭に来たことをいちいち覚えているタイプ。慎ましい人とはウマが合う。 士燮とは気が合う。趙朔は癒し。ゴーイングマイウェイな郤氏の連中とはとことん性格が合わない。イライラ。身長設定178cm。 |
■士燮(ししょう) 【1】士・范/燮/叔/文 呼び方は士燮・范叔・范文子・范燮(←三国時代以降?)。 【2】士会の子。父の厳しい教育を受けて育ち、非常に慎重。欒書執政時代の晋のご意見番。鄢陵(えんりょう)の戦い(BC575)の後、晋に大乱が起こるのを予見し、乱に巻き込まれる前に世を去った。■ 【3】他人の恨みを買うことを極端に畏れており、いっそ病気なんじゃないかと思うくらいに慎重。近づくと威圧感がある。全然笑わない。だが見識は確かで、周囲の信頼も厚い。言い回しが古臭い。 執政の欒書の補佐に回り、互いに気心を知っている。父の士会は尊敬と畏怖の対象。郤克のお守役。意外に面倒見はいい。才能を顕示する我が子(士匄)にはたびたびキレる。身長設定173cm。 |
■郤至(げきし) 【1】郤・温/至/季/昭 呼び方は、郤至・温季・郤昭子。 【2】郤氏の傍流。好漢気質。信義を重んずる爽快な性格で、礼節も心得ているが、怖いもの知らずなところがあり、周王室と言い争ったりしている(笑)。欒書・胥童(しょどう)の讒言を聞き入れた君主の厲公(れいこう)により誅殺された。 【3】一言で言えば好漢。陽気な性格で、腕っ節自慢。スッキリしているいい奴なのだが、空気を読まず、周囲を顧慮しないところがある。己の信じるところを貫くタイプ。 自分に目をかけてくれている郤克を慕っている。欒書とはなんか合わない(というか欒書が一方的にものすごく嫌っている)が、郤至自身はあまり気にしてない。身長設定180cm。 |
■苗賁皇(びょうふんこう) 【1】苗(もとは闘)/賁皇/?/― 呼び方は「苗賁皇」のみ? 【2】楚の令尹(総理大臣的な役職)・闘椒(子越)の子。子越が楚で粛清された際に晋に亡命し、苗の地を与えられてそれを氏とした。見識も戦略眼も高く、鄢陵の戦いでは軍師役として晋を勝利に導いた。■ 【3】額に刺青、耳環など、楚人の装いをしている。常に丁寧語。いつもにこにこしていて、何を考えているかよく分からない。しかし、言う所ではズバッと本音を通す。胴の前に腕を回す癖がある。 あくの強い晋の卿たちのごたごたに巻き込まれたくないので、卿たちとは距離を置くことが多い。身長設定172cm。 |
■韓厥(かんけつ) 【1】韓/厥/?/献 呼び方は、韓厥・韓献子・韓子。 【2】趙盾(ちょうとん)に養育され、司馬(軍監)にも抜擢された。欒書の次の執政。文武両面で非常に優秀。自らの任に忠実で、私情を挟まない。晋の中興の立役者。清貧。■ 【3】公明正大、清く正しく事を運ぶ。冷静沈着。他の卿たちとは不即不離のつきあいをしているが、恩人である趙盾の一族には陰ながら援助をし、一時滅亡に瀕した趙氏を復興させた。 趙盾とその一族(趙朔・趙武)に対しては親しみを感じており、珍しく笑顔を向けることがある。その他の人々に対しては平等(?)に鉄面皮。身長設定183cm。 |
■趙朔(ちょうさく) 【1】趙/朔/孟/荘 呼び方は趙朔・趙荘子・荘主。 【2】趙盾の子。『左伝』には邲(ひつ)の戦いで下軍の将として参戦しているくらいしか記述がない…。『史記』では、屠岸賈に罪を着せられて殺され、一族を滅亡状態にされた悲劇の人となっている。■ 【3】癒し系。ほんわか温和な人柄。些細なことにも幸せを感じられる人。周囲にお花が飛んでそう。 程嬰とは幼馴染で知音の仲。自分に目を向けてくれない父には多少不満がありつつも、為政者として尊敬もしている。韓厥とは一時期同じ屋根の下で育ったので、兄のように思っているが、趙盾に大事にされていた韓厥にはちょっと嫉妬心もある。自分と同じ下軍に属す欒書は頼もしい人だと思っている。身長設定165cm。 |
■程嬰(ていえい) 【1】程/嬰/?/― 呼び方は、「程嬰」のみ。 【2】趙家の客。趙朔とその一族が屠岸賈によって殺された際、公孫杵臼とともに趙朔の遺子(趙武)を密かに救い、育て上げた。『左伝』には見えず、『史記』に出てくる人物。 【3】うち設定では、幼い頃に趙盾に拾われ、趙朔と一緒に育ったということにしてます。けっこう熱血。 本来ならば身分が格段に違うのに、全く隔意なく接してくれる趙朔に対しては、親しみと恩を感じている。公孫杵臼は最初は嫌いだったが、後に親しい仲になる。身長設定170cm。 |
■公孫杵臼(こうそんしょきゅう) 【1】公孫/杵臼/?/― 呼び方は「公孫杵臼」のみ。 【2】趙家の客その2。出自不明。趙氏が族殺された際、趙朔の遺児を守り通すために程嬰と策を講じ、自らの命を捨てて遺児を守り通した。『史記』に出てくる人物。 【3】道に行き倒れていたところを趙朔に拾われる。飄々として掴みどころがない人。というかかなりの天然。そして極度の方向音痴。だが、学識はけっこうある。 程嬰からは最初嫉視されていたが(本人は気にしてない)、後に趙朔の遺児を守るために力を合わせる。趙朔には大事にしてもらったので、なかなか表には出さないが恩を感じている。身長設定178cm。 |
■士会(しかい) 【1】士・隨・范/会/季/武 呼び方は士会・隨会・范会・士季・隨季・隨武子・范武子、など(多)。 【2】荀林父の次の執政。士缺(しけつ)の子。士燮・士魴(しほう)の父。文公(重耳)の車右(護衛)から出発し、秦への亡命を経ながらも、晋の執政にまで昇りつめる。軍事にも秀でた晋きっての名宰相で、法の整備も行った。 【3】普段は穏やかだが、いざとなれば存分に実力を発揮できる。発揮する力の程度も調節できる。謙虚だが卑屈ではなく、果断だが無謀でない。欠点はないが有能さを顕示する訳でもない。とにかくバランス感覚がよくてカッコいい兄貴的存在。 息子への教育は厳しいが、本当は親馬鹿。郤克は弟分。身長設定183cm。 |