春秋うち設定




うちの春秋人物の、ちょくちょく出てくる人のまとめページ(…)です。
(出番が増えてきた人は…できればメインの紹介ページに移動させます)
ごく簡単な紹介のみです(>_<)。
紹介文はほぼ完全に拙宅設定準拠です!<重要




一覧:
【晋】 ■趙盾 ■郤缺 ■魏寿余 ■荀林父 ■景公 ■巫臣 ■郤錡 ■厲公 ■胥童 ■荀罃 ■士魴 ■荀偃 ■士匄

【楚】 ■共王 ■子重 ■子反 ■伯州犂 ■養由基

【秦】 ■康公 ■繞朝

【斉】 ■頃公 ■国佐 ■高固

【おまけ】 ■士燮・士魴(こども) ■幽体くん


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【晋】
趙盾
趙盾(ちょうとん)

異称:趙孟、趙宣子、宣孟
晋の卿。趙衰(ちょうし)の子。趙朔の父。父の死後、いきなり晋の中軍の将(執政)に抜擢される。自分が擁立した霊公に振り回されていろいろ大変で、しまいに疎まれて暗殺されそうになったりする。趙盾自身は刃向わなかったが(逃げた)、同族の趙穿がこれにキレて霊公を弑してしまい、弑君の汚名をかぶる。時々やらかしてる感もあるが、良い意味でも悪い意味でも己の正義に対して正直でまっすぐ。父に愛されてないので子の愛し方は知らない。身長設定180cm。
郤缺
郤缺(げきけつ)

異称:冀缺、郤成子、(郤子)
晋の卿。郤芮(げきぜい)の子。郤克の父。かつて父とともに文公(重耳)を殺そうとして失敗し、失脚して農夫同然の生活をしていた。胥臣に見いだされて朝廷に復帰し、箕の戦いで敵総大将を捕らえる功を立てる。趙盾執政期はその助言役となり、後に執政となる。拙宅ではオープン親馬鹿で郤克にデレデレ。我が子の容姿が異常なのは自分のせいだと思っているため、我が子に対して負い目を感じており、非常に甘くなる。身長設定177cm。
魏寿余
魏寿余(ぎじゅよ)

晋の大夫。魏邑の持ち主。晋の有力者・魏氏の出だが、詳しい家系は不明。(おそらく郤缺の指図で)秦に亡命していた士会を誘拐するため秦に偽降し、士会を晋に連れ帰った。ぶっちゃけ、この場面にしか出てこないので詳しい事は分からない。敵国に潜入し堂々と任務を遂行しているので、胆力のある人物と思われる。
荀林父
荀林父(じゅんりんぽ)

異称:荀伯、中行伯、中行桓子
晋の卿。荀庚(じゅんこう)の父。郤缺の次の執政。執政になって早々に邲の戦いを迎え、楚に大敗北を喫する。自らの死で敗戦の罪を贖おうとするが助命され、数年後に赤狄を滅ぼす大功を立てた。基本的にお人好しで押しが弱い(そのせいで邲の戦いでは目下の先縠(せんこく)になめられて好き勝手された挙句に楚に負けた)。押しが弱いのは中行さんちの血筋…なのかもしれない。荀罃の伯父に当たる。身長設定170cm。
景公
景公(けいこう)

晋の君主。名はドウ(けものへんに需)、または拠。即位して間もなく起きた邲の戦いで執政の荀林父が敗れたため、在位期間は晋の立て直しのために頑張っていたと思われるが、卿たちのインパクトが強すぎて、景公の影は極めて薄かったりする…。元祖「病膏肓に入る」の人で、不治の病にかかった挙句、最後はトイレに転落死したという、なんともやりきれない最期を迎えている…。
巫臣
巫臣(ふしん)

異称:屈巫、子霊
晋の大夫。もともと楚の人で、楚の荘王に仕えて策を献じていた。夏姫を獲得するため彼女と共に晋に亡命し、郤至を頼って晋の臣となった。巫者と策士の両側面を持っており、巫者の性格のときは子供のように純粋。一方策士の性格のときはかなりの腹黒で、目つきや一人称も変化して怖い人になる。基本的には巫者の性格で過ごしているが、必要に応じて策士になる。身長設定155cm。
郤錡
郤錡(げきき)

異称:郤子、郤伯、駒伯
晋の卿。郤克の子(つまり郤缺の孫)。イタズラ好きのアホの子。士燮と一緒に上軍を率いていた時期は、よく士燮にイタズラしては看破されて説教されていた。が、懲りない。父(郤克)が弟扱いしていたせいで、士燮を舐めてかかっている。というか、たいがいものを舐めてかかっている。鄢陵の戦いの翌年、郤犨(げきしゅう)・郤至ともども殺され、郤氏は滅ぶ。身長設定155cm。
厲公
厲公(れいこう)

晋の君主。名は州蒲(『史記』では寿曼)。景公の子で、景公死後に即位。鄢陵の戦いでは楚の共王と戦い、勝利を収めた。自分の側近を取り立て、力のある卿を排除しようと考えており、郤氏を滅ぼし、続いて欒書・荀偃を殺しかけたが、結局見逃した。その後、側近たちは去るなり殺されるなりし、厲公自身も欒書・荀偃によって弑された。拙宅では情緒不安定な子供というイメージです。
胥童
胥童(しょどう)

厲公の側近。胥臣の曾孫に当たる。父の胥克が郤缺によって卿の位を逐われたため、郤氏に怨みがある。鄢陵の戦いの後、厲公をそそのかして郤氏を滅ぼさせ、さらに欒書・荀偃を除こうとしたが、厲公が二人に対して情けをかけて許してしまった。胥童は欒書・荀偃によって殺され、数日後に厲公も弑された。糸目で、常に微笑して厲公に近づく蛇みたいなイメージです。
荀オウ
荀罃(じゅんおう)

異称:知罃、知伯、知子、子羽、知武子
晋の卿。荀首(荀林父の弟)の子。つまり荀林父の甥。邲の戦いで楚に捕らえられ、以後約10年間楚で虜囚として過ごした(その間にストレスで髪の一部が白くなった<拙宅設定)。捕虜交換によって晋に帰国し、次第に頭角を現していった。韓厥執政期を支え(拙宅では韓厥執政期のオカン)、韓厥引退後には執政となる。荀偃やら士匄やらの若手に対して時に激しくキレつつ卿たちをまとめ上げ、晋の中興を維持した。身長設定178cm。
士魴
士魴(しほう)

異称:范魴、彘季、彘恭子
晋の卿。士燮の弟で士会の末子。兄の没後、卿となる。荀罃と一緒に悼公を周まで迎えに行ったり、魏絳の自殺を止めたり、うっかり油断して秦に負けたり、荀罃と同年に没したりしている。厳しい兄とは違ってほんわかした性格。性格は違うが仲のいい兄弟。韓厥・荀罃執政期の癒し系。若者たち(荀偃とか士匄とか)の優しいおじさん的ポジション。身長設定175cm。
荀偃
荀偃(じゅんえん)

異称:中行偃、中行伯、伯游、中行献子
晋の卿。荀庚の子(つまり荀林父の孫)。欒書と共に厲公に殺されかけ、却って厲公を弑した。しばらく目立たずにいたが、荀罃の死後に執政となり、祖父同様に部下に舐められてグダグダな戦をしたりする…。死を予言されて一念発起し、平陰の戦いで斉を破る功績を立てるも、帰途で予言通り病死する。士匄と一緒に悪さ(?)をしては、よく荀罃にキレられている(ただし、悪戯をそそのかすのは士匄で、荀偃はそれに巻き込まれてるだけ)。身長設定170cm。
士カイ
士匄(しかい)

異称:范匄、范宣子、(范叔)
晋の卿。士燮の子(つまり士会の孫)。当初は礼儀正しく徳量ある人物のようなふるまいをしていたが、次第に勝手な行動が目立つようになる。よく目上で年上の荀偃をいじって遊んでいる(…)。荀偃死後に執政となると、かねてより恨んでいた欒氏を滅ぼした。晩年はやりたい放題。祖父や父とは全く違って性格が悪い(能力的には祖父にも父にも似て優秀だが…); 自己顕示欲が強く、父にキレられては逃げるのがかつての日課。そのため無駄に俊足。身長設定175cm。
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【楚】
楚は南方の大国で、よく晋と覇権争いしてます。
拙宅では鄢陵の戦いに関わる人(共王周辺の人物)が数人います。
拙宅の楚人は、額に刺青をし、耳に金環をしているのが特徴。
共王
共王(きょうおう)

楚の王。名は審(または箴)。カリスマ荘王の子。若いながらも聡明な王。鄢陵の戦いで晋に敗れ、その際左目を射られて負傷した(絵はそれ以前のものです)。楚で囚人となっていた荀罃を晋に戻した人でもあり、荀罃とかっこいい応酬をしたりしている。身長設定165cm。
子重
子重(しちょう)

名は嬰斉。楚の荘王の弟で、共王時代は令尹を務め、共王の養育係のかたわれでもある(もう一方のかたわれは子反)。実直で真面目な人物だが、狭量なところがあるのが欠点。子反とよくコンビを組んでいるが、鄢陵の戦いの直前になっていきなり仲が悪いことが判明する。身長設定178cm。
子反
子反(しはん)

名は側。楚の公子で、共王時代には司馬を務め、共王の養育係のかたわれでもある。けっこういい奴なのだが、直情的でやや子供っぽい性格。郤至以上に子供っぽい話が左伝にあったりする…。夏姫をめぐって巫臣とは犬猿の仲。身長設定182cm。
伯州犂
伯州犂(はくしゅうり)

楚に仕える大夫。もともと晋の人。父の伯宗が郤氏の讒言を蒙って殺されたため、楚に亡命した(その際に髪を切った)。亡命した翌年に鄢陵の戦いが起こり、それに従軍して共王に献言している。鄢陵の戦いは、ともに父を殺され、楚から晋に亡命した苗賁皇と、晋から楚に亡命した伯州犂という好対照な二人の軍師対決も見もの。首から下げているのは、父の遺品の玉環。身長設定169cm。
養由基
養由基(ようゆうき)

楚の大夫。「百発百中」の語源の弓の名手。荘王・共王に仕え、たびたびその腕前を発揮する。鄢陵の戦いでは、共王の目を射た晋の魏錡(呂錡)を一本の矢で射殺し、また撤退の際にも弓の腕前を披露して晋軍の追撃を阻んだ。寡黙でほとんど喋らないが、主君に対する忠義の心は篤い。身長設定190cm。
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【秦】
黄河を挟んで晋の西隣に位置する、西の大国。
ちょくちょく晋と揉めたり仲良くなったり。基本的には揉めている。
拙宅には士会誘拐(…)事件関連の秦人ばかりがいます。
康公
康公(こうこう)

秦の君主。春秋五覇に数えられることのある秦の穆公の子。ちなみに即位したのが晋の霊公(厲公に非ず)と同じ年。即位して早々に晋の内輪もめのとばっちりを蒙ったりする…。その内輪もめの際に晋の士会(と先蔑)が秦に亡命してきたため、彼らを重用してたびたび晋に侵攻した。後に晋にたばかられて士会を晋に奪われてしまう。即位して間もなくのうちから士会が側にいるので、士会のことは腹心のように思ってます。
繞朝
繞朝(じょうちょう)

秦の大夫。士会誘拐事件にしか出てこない人…。晋から亡命してきた魏寿余の目的が士会を誘拐することであると見抜いていたが、その献言は採用されなかった。士会との別れ際に、「秦に人なしと思わないでくれ」と、策(馬鞭だとかそうでないとか)を渡している。魏寿余の目的を見抜くような人なので、拙宅では冷静な策士風にしてます。右目が髪で隠れてますが、オサレでやってるだけで(…)郤克のように右目にトラブルがある訳ではないです。
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【斉】
東の大国。拙宅では鞍の戦いがらみの人ばかり出てきます。
時々調子に乗って晋に挑んではけちょんけちょんにやられたりする。
サイトの方じゃなくて同人誌の方に描いた人が多いです;;
頃公
頃公(けいこう)

斉の君主。名は無野。異常な容姿を持つ郤克が斉に来た際、郤克を笑い物にした。それなりに賢い人物なのだが、時々調子に乗ってしまう。後に鞍の戦いで派手に逆襲され、以後しばらく斉は晋に従わざるを得なくなった。敗戦後も郤克に辱められたりしたが、それに耐えて、帰国後は内政に徹して国内を充実させた。
国佐
国佐(こくさ)

異称:国武子
斉の卿。斉の名門・国氏の棟梁。真面目なツッコミ役。鞍の戦い前後では苦労人ポジションで、鞍の戦いで斉が晋に敗れた後、郤克に会って交渉し、郤克を説得してなんとか講和にこぎつけた。
高固
高固(こうこ)

異称:高宣子
斉の卿。斉の名門・高氏の棟梁。国佐がツッコミならこちらはボケ。断道の盟に行くよう命ぜられたものの郤克の怒りを恐れて途中で逃げ帰るようなへたれた面もあれば、鞍の戦いの前には晋軍に突っ込んでひと暴れするようなはっちゃけた面もある。鞍の戦い以後、史書に名を見せなくなる。
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【おまけ】
項目を作るまでもない気もするけど、それなりの頻度で登場する人(?)たち。
子ししょー&子しほー
士燮・士魴(こども)

士会誘拐事件前後に出てくる、子供時代のししょーさん(右)としほーくん(左)。ししょーさんはまじめ、しほーくんは天然です。
げきもーの本体
幽体くん

郤克が気絶すると、帽子からにょろっと出てくる幽体。郤克の本体。性格は郤克とは違って素直(…)。時代も地理も無視しまくったKYな語彙を用いつつカタカナで喋る。こいつを叩いて本体に戻すと、郤克の意識が回復します。郤克はネタ要員なのでこんな項目ができてしまうのさ~~
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