程嬰・趙武


切り株のあたりに寓意がいろいろあります

<2009年10月>

春秋時代・晋から、程嬰と子趙武。
史記(趙世家)の、程嬰が趙朔の遺児(趙武)とともに山奥に隠れ住んでいた話を踏まえます。

この件については、趙世家なり、みやぎたにさんの「月下の彦士」(『孟夏の太陽』所収)を
お読みいただくなりするのが、手っ取り早い上にドラマチックを満喫できますが、
要は趙武は滅ぼされた一族の唯一の生き残りであり、彼を生き延びさせるために
程嬰と公孫杵臼とが策を練り、公孫杵臼が命と引き換えに趙武を守るのです。
公孫杵臼が程嬰に向かって言った、
「孤児を守り立てるのと、ここで死ぬのと、どちらが難しいと思われるか」(岩波訳)
という台詞は、一連の話の中でもいちばんぐっとくる一言であります。

結局、死ぬ方を公孫杵臼が引き受け、守りたてるのを程嬰が引き受けることになり、
趙氏を滅ぼした仇敵・屠岸賈の目を欺くために杵臼が命を張り、
程嬰は生まれて間もない趙武とともに、人目を隠れて山奥に入っていくのです。




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