韓厥
かんけつ


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趙盾の推挽を得て司馬となった。
しかし、趙盾の家臣が法を破れば、これを罰した。
与えられた司馬としての任を遂行することこそ、恩に報いることだと信じたから。

周囲の者は「恩を忘れおって」と韓厥を非難した。
しかし、趙盾は韓厥を誉めた。
冷静な韓厥の胸も、この時ばかりは熱くなった。

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趙盾の子・趙朔の一族を殲滅せんとの陰謀が朝廷を覆っている。
普段、公私の別を守って趙朔の家を訪ねない韓厥だが、事態は切迫している。
先の戦闘で負傷して床に就いている趙朔の家を訪ね、趙朔に亡命を勧めた。

趙朔は、逃げぬ、と言う。
「あなたが、わが趙氏の祭祀を絶やさぬようにしてくださればそれでいい」と。
韓厥は、力ない趙朔の手を握り、必ずや、と心に誓った。

趙朔は族殺されたが、唯一の生き残りである趙武―趙朔の子―が、程嬰に守られて密かに成長していた。
後、卿となった韓厥は趙武を朝廷に復権させ、趙朔の願いを実らせた。

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参考: 宮城谷昌光「月下の彦士」(『孟夏の太陽』所収) / 同『沙中の回廊』 / 司馬遷『史記』趙世家・韓世家
<2007年1月>




韓厥、韓献子と号す。その子孫は後に晋を三分し、韓を建国する。

韓厥は冷静沈着、謹厳で忠実なイメージ。
黒い上衣は、他の色に染まらず信念を貫き通すイメージから。
宮城谷さんの作品中で韓厥の活躍を詳細に描いたものは未読ですが
(『子産』に出てくるという噂も聞いてますが、『子産』は未読だったり…)
また別の小説なり文献を見て、イメージが変わるかも。

『子産』読みました(2007.03)。
韓厥さんはかっこよすぎだと思いました(笑)。
鄭随一の将である子国を寄せ付けない、圧倒的な戦術…は、反則!!
私情を一切差し挟まず、ただ勝利だけを引き寄せる軍略は職人芸のようだ…。
子国さんも韓厥を手放しで褒めてましたが、まじでかっこよいです。

以下メモ〜。韓厥のポジションの推移。その他の事跡はほぼ省略〜すみませ…(笑)。左伝より。
■河曲の戦い(BC615の?)で、趙盾の推薦で司馬になる
■BC597: ヒツの戦い(晋vs楚)。司馬として従軍
□同年: 屠岸賈が趙朔を族殺(『史記』趙世家にある記事)
■BC589: 鞍の戦い(晋vs斉)。司馬として従軍。逢丑父を捕らえる戦功
■BC588: 晋、新たに三軍を増設。韓厥は新中軍の将となり、卿に列する
□BC583: 荘姫の讒により、趙氏一族が滅亡寸前に。韓厥の助言で、趙武が趙氏を継ぐことになる
■BC578: 麻隧の戦い(晋vs秦)。下軍の将として従軍。
■BC575: エン陵の戦い(晋vs楚)。下軍の将として従軍、鄭君を見逃す。
□BC574: 郤氏の滅亡
■BC573: 欒書、詞を弑す。悼公が即位し、韓厥は中軍の将(=執政)となる
■BC566: 子の韓起に朝見を命じて引退



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