趙朔
ちょうさく



*   *   *

父の趙盾は、息子である趙朔以上に、異母弟たちに愛情を注いでいた。
弟たちの母――君姫に恩があったからである。
しかし、趙朔はそれを怨むことはなかった。
父の心情がわかっていたから。

趙朔は、のちに晋の卿に任ぜられた。
しかしその輝かしさの中、一族滅亡の足音が近づいていようとは夢想だにしていなかった。
父の成したことが、子である趙朔に死を迫ることになるのである。

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参考: 宮城谷昌光「月下の彦士」(『孟夏の太陽』所収) / 司馬遷『史記』趙世家
<2007年3月>




趙朔。趙荘子ともいう。趙盾の子。
ヒツの戦いに際し、下軍の将に任じられる。
『史記』によれば、屠岸賈という大夫が趙氏を滅ぼさんと謀り、
趙盾が霊公弑逆の責任者であると称して、趙盾の子である趙朔や趙盾の弟・趙同ら趙氏一族を滅ぼした。
趙氏は絶えたかと思われたが、遺子の趙武が程嬰・公孫杵臼らによって救われていた。
15年後、韓厥の助力によって、趙武は晋の朝廷に復帰することになる。

史書での記述が非常に少なく、人柄をそこから窺い知ることはできないけれど、
宮城谷さんの書く、謙虚で人のいい趙朔が好きです。



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