欒書
らんしょ



*   *   *

君に仕えて知ったのは自らの無能。
無能な執政にできる最後の仕事は、
無能な君を弑することだ。

*   *   *




参考: 『史記』晋世家 / 『春秋左氏伝』 / 宮城谷昌光『子産』
<2008年6月>




欒書。欒伯・欒武子ともいう。
えと、自分のアバウトな左伝メモによると…
■ヒツの戦い(vs楚/BC597)は下軍の佐
■鞍の戦い(vs斉/BC589)は下軍の将。この時中軍の将(正卿)は郤克
■鄭に攻められた許を救った時(BC587)には中軍の将=執政。
その後は執政の位に座し、楚に大勝したエン陵の戦い(BC575)にも参加。

エン陵の戦いの後、士燮(范文子)が虞(おそ)れていたとおり、晋は乱れた。
まず、三郤(郤至・郤リ・郤シュウ)が、欒書や胥童の差し金で殺されるに至り、
また晋君・詞は有力者を廃して自らの寵臣を重用しようとしており、詞の寵臣が
さらに欒書・中行偃を捕らえた。が、詞は「たった一日のうちに三人の卿を殺してしまった。
これ以上は殺すに忍びぬ」と、二人を解放した。しかし、いずれは殺されると思った二人は、
ついに詞を捕らえ(BC574)、程滑という人物(←左伝・『史記』管蔡世家だと)に殺させた。
これと同時に欒書は朝廷から消え、新たに立った悼公の下では、
詞弑逆に加わることを拒んだ韓厥が執政となった(BC573)。


欒書は、執政としてはどんな評価をされる人なんだろう?
その辺の文献をあまり見たことがないので分かりません。
が、主を殺したという点、やはり評価はマイナスになるのかな
…たとえ、詞が暗愚であったとはいえ。それを匡せなかった執政にも
やはり罪はある、と判断されるんだろうか。

三郤を屠るときの欒書の手回しは、かなり悪どい印象が強い。
三郤の一人・郤至は人柄がまっすぐだったので、欒書の手に落ちていく郤至に
いっそ肩入れしたくなってしまうくらいだった。
最終的に欒書は、中行偃とともに詞を弑し、自らも政界を去った。

あまり春秋がらみの本を読んでないくせにあれこれ言うのはいかんのですが、
欒書という人に対しては、名門の出で表向きは毅然としていても、心中ではひそかに
逡巡して自信を持ちきれていないという印象があります。



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