韓厥


後に晋の覇権を取り戻す、文武双全の司馬

<2007年3月>

春秋時代でとりわけ気に入っている韓厥さん(笑)。若かりし司馬時代。
黒と寒色を多用して、厳格な韓厥らしい重々しさを出そうと思いながら描きました。

司馬として、法を曲げず、私情を排して事に臨む人。
韓氏は晋の名門だが、韓厥が生まれた頃はその威勢も衰えていたようで、趙盾に養われながら育ったという。
趙盾には、育てられた恩、それに推挽の恩があるため、趙氏に対して篤い情を向ける。
一時、趙氏がほぼ壊滅状態になった時も、韓厥が力を尽くし、趙氏を復興させた。
蓄財に興味がない清廉な人で、子の韓起は自分の家の貧乏を嘆いたことがあるくらい(笑)。
とにかく、かっこええ人です。

寒色の構成にはとことん苦労して描きあげました(笑)。

■作画メモ■



↓表情アップ
髪の塗りも頑張りました。というとこを強調したい(笑)


韓厥さんの名場面in『春秋左氏伝』(左伝)↓
■晋vs斉の「鞍の戦い」(成公2年、BC589)
自らの車右・御者を失いながらも、斉の頃公の車に追いつき、
杯と璧を捧げ、礼をもって頃公(に扮した、車右の逢丑父(ほうちゅうほ))を捕らえる。
頃公を追撃するシーン、韓厥ももちろん、韓厥を君子と見た頃公が
韓厥に矢を射ることを憚るのがまたかっこいいな…。
後、晋と斉の和平が成り、頃公が晋を訪れ、韓厥と再会する場面もよいv

■滅亡寸前の趙氏を復興させる(成公8年、BC583)
荘姫(=趙朔の妻)の讒により趙氏が族殺された際、
趙氏で唯一生き残った趙武に、趙氏を継がせるよう景公に進言。
そのため、趙氏はとりつぶされずに済んだ。趙盾への恩を強く抱き、正義感の強い韓厥らしい行動。
『史記』(趙世家)の趙氏族殺に関する記事には程嬰・公孫杵臼がからんでいて、『左伝』の記事と異なっている。
『史記』の方が、ドラマチックで個人的に好みです(笑)。

■主君殺しには手を貸さない(成公17年、BC574)
欒書(らんしょ)・荀偃(じゅんえん)が、主君である詞(れいこう)を暗殺しようと謀った際、韓厥を誘った。
しかし韓厥は、主君を弑することに手を貸すわけにはいかない、と断固としてこれを拒否。
『国語』では、賛同を断る韓厥を荀偃が斬ろうとする場面もあってより一層緊迫してますが、
欒書が荀偃を止めたため、事なきを得た。
欒書が詞を弑し、悼公を立てて引退した後、韓厥が執政となって
晋の中興を果たすことになる。
詞は暗君だったので、欒書もこれを弑するに至ったのですが、
悼公は若いながらも名主といえる主君で、韓厥も悼公の下で晋の覇権の回復を果たすに至った。
もし、欒書が詞を弑せず、詞の下で韓厥が執政になったとしたら、
悼公のときのように腕を揮えただろうか…と、時々考えたりもします。

…語りすぎ!!!(笑)




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