■BC555 平陰の戦い。欒盈は下軍の佐。この時仮に弱冠20歳としよう… ↓そうすると欒盈が生まれたのはいつか? ■BC574 に欒盈が生まれたということになる<数えだからこれでおk ※エン陵の戦いの翌年です… 欒盈のオカンは士カイの娘の欒祁です。この年に欒盈を産んだとすると、 この前の年くらいに欒黶と結婚していていいでしょう (ってかこれって、士カイからすると、父=士燮が亡くなったのと同じ年に 孫=欒盈を授かったってことになるのか…あくまで可能性に過ぎないが。 ししょーさんはこの年の6月に死去) ↓では欒祁と欒黶の結婚はというと… ■BC575 まさにエン陵の戦いの年に欒祁と欒黶が結婚。 つまり、えんりょーの戦いの時点で、欒氏と范氏は姻戚関係にあった可能性が高い…。 この時欒祁は笄年15歳だとしよう ↓そうすると欒祁が生まれたのはいつか? ■BC589 欒祁が生まれたのは鞍の戦いの年。欒祁の父親は士カイです。 そうすると士燮(士カイの父)が既におじーちゃんだということに…(笑) 士会もひいじいちゃんです…(笑)。 ひいじいちゃんに親馬鹿を発揮されるおじーちゃんって…(笑) ↓…当時はだいたい30歳で世帯を持つとされてるから、 欒祁が生まれる前の年に士鞅(欒祁兄)が生まれ、 さらにその前年に士カイが世帯を持ったとする ■BC591 この年に士カイは30歳で、嫁さんを迎えたということになる ↓そうなると士カイが生まれたのはいつになるか? ■BC620 士会が秦に亡命した年です……。。。 …士会が亡命した頃あたりにはもう孫がいることになっちまうんですけど(笑)!! えんりょーの戦いで「この小童!」とおとん(士燮)に追いかけ回されてる士カイさんは 当時もう46歳ってことになるんですけど(笑)!! いくらなんでもありえん!!! |
■BC555 平陰の戦い。欒盈は下軍の佐。この時仮に弱冠20歳としよう… ↓そうすると欒盈が生まれたのはいつか? ■BC574 に欒盈が生まれたということになる<数えだからこれでおk ※エン陵の戦いの翌年です… 欒盈のオカンは士カイの娘の欒祁です。この年に欒盈を産んだとすると、 この前の年くらいに欒黶と結婚していていいでしょう (ってかこれって、士カイからすると、父=士燮が亡くなったのと同じ年に 孫=欒盈を授かったってことになるのか…あくまで可能性に過ぎないが。 ししょーさんはこの年の6月に死去) ↓では欒祁と欒黶の結婚はというと… ■BC575 まさにエン陵の戦いの年に欒祁と欒黶が結婚。 つまり、えんりょーの戦いの時点で、欒氏と范氏は姻戚関係にあった可能性が高い…。 この時欒祁は笄年15歳だとしよう ↓そうすると欒祁が生まれたのはいつか? ■BC589 欒祁が生まれたのは鞍の戦いの年。欒祁の父親は士カイです。 そうすると士燮(士カイの父)が既におじーちゃんだということに…(笑) 士会もひいじいちゃんです…(笑)。 ひいじいちゃんに親馬鹿を発揮されるおじーちゃんって…(笑) ここで譲歩をして、士カイが世帯を持ったのが20歳だとしよう。 この年に欒祁が生まれ、その前年に士鞅が生まれ、 さらにその前の年に世帯を持ったと考えるのがよろしかろう ↓そうすると士カイが世帯を持ったのは ■BC591 この時士カイ20歳、嫁さんを迎えたとする ↓では士カイが生まれたのはいつか? ■BC610 士会は秦から晋に連れ戻され済み。霊公弑殺の3年前。 これくらいならまだありうるか…。 しっかし、士燮さんが卿になってから(BC592)士会に杖でシバキ倒された時は 士燮さんは既に19歳の子がいる親ということに… ほぼ成人の息子がいる親が「この小童!」と怒られてシバかれるのか…(笑) |