雲崗石窟




入ってすぐのあたりの石窟だったかな…
次に向かうは雲崗石窟。このページも写真満載でお送りします〜


■雲崗石窟へ
木塔近くの刀削麺のお店でお腹を満たした後、馬さんタクに乗って、再び大同市内に戻ります。
大同市内から程遠くないところに雲崗石窟があるのです。次の目的地がここ。
これまた距離がありまして、1時間半ほどタクに乗ってました。しかし、外の景色を見てると本当に飽きないんですよね〜…少しずつ景色が変わっていくのが面白くて。

で、再び大同市内に入り、大通りから超脇道に入って、砂がもうもうと立ちのぼるような舗装されてない小道を走り(笑)、山を上がっていきます。


超ピンボケ
道はこんな感じの片側二車線のきれいな道路。
かのやさんが前に雲崗に来た時は、こんなきれいな道じゃなかったとか…
やはり五輪合わせでここも舗装したのかな…?


すると、なんだかすごい建物いっぱいのところに到着しました。

左は建造中
白い立派な建物が…。左の方は今まさに建ててるとこみたいですが…
…足場がすごいなぁ; 木が組んであるだけやん…;;
手前の赤い車は、市内でよく見かけた三輪タク。


かのやさん曰く、以前はこんな建物群なんてなかった!とのこと…。 馬さんにはまた待ってていただき、時間もないので(もう15時過ぎ)1時間で見て回ってきます〜と慌ただしく中に入ります。 中がまた…すごいことになってました。以下、写真をお楽しみください…。
入ってすぐのとこ。観光客もさすがに多い


上の門をくぐったとこ


上の門をさらにくぐったとこ。なんか立派な柱が林立…


上の柱の林のさらに奥の方


上の建物の内側…だったと思う<ウロ


上の塔の周辺


「…この写真が無駄に並んでるパターン、どこかであったな…」とお思いの方、大変鋭いです。
このパターン、晋祠と一緒なのですよ…写真の羅列という点のみならず、まだ真の目的地(雲崗石窟)に入っていないという点でもな!!

…ちうごくの方は、名勝古跡の前にこういう立派な建物を作りまくってしまう性でいらっしゃるんでしょうか…正直自分は石窟が見たいのであって、こういう建物は二の次なのだが…(でも一応写真は撮る<お前;)。
もちろん、まだ石窟には入っておりませんので、このあたりのできたてほやほやの立派な建物は無料で見られます。
現在も絶好調建造中です…


客がいようがいまいが関係ないのかえ!
下の階段に模様を彫ってる職人の皆さん。
お客がいても作業してしまうのですね…


…隠した方がいいと思うんです、こういうの(笑)
片隅には、これから組まれるであろう木材が放置…


雲崗石窟の入り口は、これらを抜けた先のここです↓


ここまでまた随分歩いたのですよ;;
この門の先が、真の目的地・雲崗石窟です。


入場料は130元…ですが、石窟入口までの例の景観が完成するまでは、少しお安く100元となっております。
…少し安いって言っても、私の旅行ガイド(2009年発行)には60元って書いてあるから、わずかの間にだいぶ値上がりしとるがな…。

しかも、この入場料…まさかと思うけど、例のだいぶ無駄な無料で楽しめる建物ゾーンの建造費用に充てられたりしてないよな…。。。うちらは石窟を見たくて入場料払ってんのに、まさか石窟じゃなくてその外の無料お楽しみゾーン(?)の為にその金が使われてるとなるとちょっとキレっぺな…!

そういえば、ここでチケットを買った時、謎の100元に遭遇したんですよね…三人とも心当たりはないんだけど、「落としましたよ」って渡された100元札…。あの100元が、自分たちの持ち物だったのかどうか、未だ定かではない…。


     *     *     *


■雲崗石窟
雲崗石窟もまた超メジャー級観光地ですが、私は北朝の方もあまり詳しくないもので旅行ガイドなどを参考にしますと…(おま;;)

雲崗石窟は、鮮卑の一部族である拓跋氏(拓跋珪)が建国した北魏の時代、460年に開削が始まり、北魏の第6代皇帝で、漢化政策などを行ったことで世界史にも出てくる孝文帝(在位471〜499年)が洛陽に遷都(493年だか494年だか495年<本によって違う;)するまでの間に造られたもの。孝文帝が洛陽に遷都するまで、北魏の都は平城という地にありましたが、それがズバリ現在の大同なのです。

北魏は代々仏教を信奉していた訳ではなく、第3代皇帝で華北統一の偉業を成し遂げた太武帝の時代、仏教は弾圧され、道教が保護されていた時期もあったらしい。寇謙之…って世界史でも見かけた名前ですが、この「新天師道」を開いたことでも有名な道士が、太武帝に廃仏を働きかけたらしい。
そういう過去もありますが、その後仏教はだいぶ息を吹き返して、これだけの石窟寺院を造ることになったみたいです。

砂岩質の崖には、東西1kmほどにわたって石窟群が造営され、主要な洞窟は53、彫像は5万点を超えるとか。
大きな仏像ばかりではありませんが、あらゆるところに仏像が彫ってあって、大小合わせると確かにそれくらいになるのかも…数えた人も凄いですが…。

以下、石窟内の写真をお楽しみください…とはいえ、雲崗石窟を回るには2時間あっても足りないらしいのに、時間の都合で1時間しか滞在できないので、かなり駆け足で回ってます; そして相変わらず詳しい解説はできませんぜすみません!


外の建物も凄い
入ってすぐにある石窟。この建物の中に洞窟があり、仏像が彫ってあります。
大きいものから小さいものまであり、彩色もほどこされていました。
ここの洞窟内の撮影はNG。


一つ一つ見てたら本当に時間が足りない;
さっきのところより西に移動。
穴の一つ一つに、大小も形状も様々な仏像が彫ってあります…
このあたりは洞窟内ではないので撮影はOK。


あらゆるところに彫ってあります
アップで撮影。あまねく像が彫ってあります…


あらゆるところに彫ってあります
壮観としか言いようがない…


雲崗石窟というと載ってる仏像がこれみたい
雲崗石窟といえばまず写ってる像が、この第20窟の仏像(大露仏)らしいです。
第16窟〜第20窟は、雲崗石窟最初期に造られたもので、「曇曜五窟」と呼ばれてるそうです。
「曇曜」というのは僧の名。
この曇曜が、時の北魏皇帝(第4代)・文成帝に奏上し、これを造らせたのだとか。
あの無料ゾーンに入ってすぐのところに、お坊さんの像が作ってあったのですが、
これが曇曜の像のようです。
旅行ガイドによれば、曇曜五窟の像は、北魏の歴代皇帝を模して造らせたんだそうですが…
洛陽に遷都する前に、孝文帝以前の5人を模した像が造られたってことになるんでしょうか。
そうなると、仏教を弾圧した第3代皇帝太武帝を模した仏像もあるんでしょうかのう…。



かなり駆け足で見て回ったのですが、それでも1時間をだいぶ過ぎてしまい(汗)、石窟出口を出て、平遥古城でちょっと乗ったのと同じ四輪の車に乗って入口付近まで行き(10元)、あわてて駐車場に戻りました;
馬さんは外でお待ちかねでしたが、不満げな顔ひとつせずに迎えてくれて、タクに乗せてくれました…本当にありがたや…。

これで、今日予定していた三か所は全て回り終わり、大同市内に戻ります。
あとはホテルに戻るだけだったのですが、馬さんのご厚意でもう一か所、大同市内の名勝に寄っていただけることになったのです…!




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