甘寧伝   姓:甘  名:寧  字:興覇  巴郡臨江の人  生没年未詳
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呂蒙: またまたこんにちは、呂子明です。甘寧について語るのは俺と…こら、早く来ないか! 甘寧と似たような真似をするな!

凌統: 甘寧と一緒にされちゃ困るねぇ…仕方ない。どうも、凌公績だ。待たせたな

呂蒙: それともう一方。今回は陸遜ではなく…

孫権: 孫仲謀だ。甘寧に言いたいことはいろいろあってな

呂蒙: あーー…、殿は甘寧にはいろいろと困らされましたからな…仰りたいことも多々おありでしょう…。俺も、甘寧には言いたいことはたっぷりあるがな

凌統: はは、殿も呂蒙さんも甘寧に文句があるんですかい? 俺もたんまりあってね…。じゃ、これから甘寧への愚痴大会でも始めますか?

呂蒙: な、なんだか途中で主旨がひん曲がりそうで怖いな…(笑)

錦衣帯鈴の徒

呂蒙: 甘寧は、若い頃から長江一帯で威を揮う水賊の頭領だった。一時、出身地の蜀で役人をしていたみたいだが、長続きしなかったようだ。もともと遊侠の徒で気概のあった甘寧は、無頼者たちを集めて徒党を組み、その頭領となっていた

孫権: その頃は相当傍若無人に振舞っていたらしいな。人と出会ったとき、その相手が甘寧をもてなせばそれでよし、もし不遜な扱いをしたら財産を奪い取る…。要は、甘寧に会ったらいずれにしろ財産が飛んでいく、ということだな。そのおかげか、甘寧一党の豪奢ぶりはすごかったらしい

呂蒙: 錦で作った綱で船をつなぎ、岸を離れるときはその錦を切り落として置いていく…といったエピソードがありますな。錦は高級品…それを惜しみなく切り捨てていくのですから、その豪奢ぶりが知れましょう。そういえば錦は、奴の出身地・蜀の名産品でしたな

孫権: それに、一党みなが刺繍の施された豪華な衣装を身にまとっていたようだしな。甘寧一党のトレードマークといえば、絢爛な衣装のほかに水牛の尾の旗指物、それに腰に帯びた鈴

呂蒙: この鈴の音で、人々は甘寧一党がやって来たことを知ったらしい。役人なんかは恐れおののいたでしょうな…。
こうして甘寧は20年あまりに亘って、傍若無人な振舞を続けたらしい。が、何がきっかけだったのか知らぬが、突然改心して書を読み出し、荊州の劉表に身を寄せることになった…西暦でいえば200年(建安5年)頃、あるいはそれより以前だと思われるな

孫権: …となると、甘寧はその20年前、西暦180年頃から賊をやっていたということか…私の生まれる前ではないか

呂蒙: 殿は182年のお生まれでしたな。俺の生まれは178年なので、もしかしたら甘寧は、史実では俺が生まれる頃…あるいはそれ以前から賊をやっていたという可能性もなくはない…

凌統: 呂蒙さんが生まれる前から賊やってたなんて…すごいねぇ…(笑)

呂蒙: まあ、いずれにしろ、史実では甘寧は俺より先に生まれていたことは間違いないな

凌統: 今度甘寧をいびるネタにできそうだねぇ…

劉表・黄祖に仕えて

呂蒙: で、甘寧が劉表に仕えてどうなったか、だ

凌統: ま、なんとなく分かるね。劉表は、根が文人のインテリ太守。そんな奴が、賊を働いてた甘寧を快く思うわけがないっしょ

呂蒙: その通りだな。劉表は結局甘寧を用いなかった。
甘寧は、劉表の下ではうだつが上がらない上、劉表が軍事をほったらかしにしているためいずれは身を滅ぼすに違いないと踏んで、我が呉に身を寄せようとした

凌統: でもあいつは、俺たちじゃなくて黄祖に…

孫権: 確かに甘寧は黄祖に仕えた。しかし、それは甘寧が望んで仕えた訳ではないのだ。
劉表から離れて我が呉に来るには、黄祖のいる夏口を通らねばならぬ。黄祖が、手勢を抱えた甘寧をたやすく敵国に通したりはせぬ

凌統: へぇ、それで奴は仕方なく黄祖に仕えてたって訳ですかい

呂蒙: ああ。しかし、この黄祖も、甘寧を厚遇したりはしなかった。そこらの食客と同じ扱いだ。黄祖は甘寧の器を見抜けなかったと見える

孫権: 建安8年(203年)、我らは黄祖と戦い、もうすぐ黄祖を討ち取れるところまで行った…が、それを阻んだのが甘寧だったな…

凌統: …ああ。黄祖を追っていた俺の父・凌操を、甘寧が……。これが奴の功績になっちまったんだから、ほんと、笑えない冗談だ…

孫権: …凌統、つらいことを思い出させてしまったな…すまぬ

呂蒙: もし甘寧が、黄祖に阻まれずに呉に来ていたら…凌統、お前と甘寧が因縁に縛られることもなかっただろうな…。
こうして甘寧は戦功を挙げたのに、黄祖の待遇は相変わらずで、それどころか黄祖は甘寧の配下を自分のものにしだしたのだ。
甘寧は黄祖から離れたくて仕方がなかった。しかし、その術も思いつかず、奴らしくもなく随分煩悶したらしい

孫権: その甘寧が呉に来れるよう手引きしたのが、黄祖に仕える蘇飛だったな…。蘇飛だけは甘寧の人物を識っていた

呂蒙: ええ。蘇飛は甘寧を、夏口の下流側、呉に近いチュ県の長とするよう黄祖に進言した。で、甘寧は旅支度を整え、チュ県に赴任するふりをして、そのまま孫呉に身を寄せた…

凌統: ちっ…

孫権: この時、甘寧を推挙したのが、呂蒙と周瑜だったな。お前たちの推挙で、私は甘寧を旧臣たちと同等に遇した…

呂蒙: そうでしたな。孫呉が発展するには、武勇に優れた者が必要…甘寧は尋常でない武勇の持ち主であり、また将来の見通しがきく漢でしたから。周瑜殿が推挙したのも、同じ理由からでしょう

義理堅い漢

孫権: 甘寧を得て、我々は本格的に黄祖討伐に乗り出した。黄祖に仕えていた甘寧が来たのだから、黄祖の手の内はすっかり知れた。甘寧の黄祖考察が勝利に一役買ったといえよう

呂蒙: あの時は、俺と凌統も戦場に赴きましたな。皆の働きで、黄祖を討つことができた…

孫権: 黄祖は父の仇…黄祖を討ったときは、どれほど感情が昂ぶったことか…。私はあらかじめ、二つの首桶を作って、そこに仇の首を入れてやるつもりだった――黄祖と、そして黄祖の都督・蘇飛の首を…

呂蒙: しかし、蘇飛は甘寧を助けた男。甘寧はこの恩を忘れず、殿に蘇飛の助命を請うたのでしたな

孫権: うむ。最初は聞く耳を持たぬつもりだったが、甘寧が額に血をにじませるくらいに叩頭して蘇飛の助命を請うてきたから…これを見ては聞いてやらずにはおれなかった。
私が甘寧に「もし蘇飛を助けたとして、蘇飛が逃げ出したらどうするのだ」と聞いたら、「その時は俺の首を代わりにその桶に入れてください」などと言ってな…。自分の命に代えてでも恩人の命を救おうとするのを見て、心を動かさずにはいられなかったな…

凌統: ……

呂蒙: 凌統…

凌統: …確かに、甘寧の奴には、義理も、勇気も、機略も武力もある。それは孫呉の輔翼になることは頭では分かっちゃいる…。
でも、この時の俺の気持ちも、多少は察してくださいよ…殿のように父の仇を討つどころか、その仇がでかい態度で孫呉に入っちまった時の気持ちを…。
…ちっ、俺としたことが、ついたわ言を……

呂蒙: 演義のほうでは、お前は黄祖討伐の祝勝の宴の最中、抜剣して甘寧に斬りかかったりもしたな…お前の気持ち、殿や俺とて察しているつもりだ。が、お前とて、甘寧の器が分からぬわけではあるまい…

孫権: 凌統、お前の気持ちが分かる故に、私はいつもヒヤヒヤしていたし、お前に仇討ちを思うなと諭したりもした…。が、お前も、この後の甘寧の働きを見て、少しずつ気持ちを変えていったのだろう?

呉に甘寧あり!

呂蒙: 夏口の戦いの後、甘寧は俺や凌統とほぼ行動をともにしていたな…赤壁、南郡、皖、荊州の益陽、合肥、濡須口…。
成功ばかりとはいかないが、その勇武はまさに魏の張遼に敵う程だったな

凌統: 成功ばかりでない…てのは、南郡攻め(208年)のときに別働隊率いて夷陵に行って、曹仁の別働隊に囲まれちゃったってやつ?

呂蒙: ああ、そうだな。
南郡の拠点・江陵にいる曹仁を攻めるにあたって、戦況を有利にしようと甘寧が周瑜殿に献策して、自ら江陵の上流にある夷陵を占拠したのだ

凌統: でも、そしたら却って敵さんに囲まれちゃったんでしょ? 全く、困った奴だねえ

呂蒙: ああ、自軍の6倍の兵力で魏に囲まれたのだ…。それが夷陵城内に矢を雨と射掛けてくるから、兵たちは恐れおののいたとか…

凌統: そいつはびっくりするよね

呂蒙: …が、甘寧だけは泰然自若と構えて、周囲と談笑するくらいの余裕を見せていた…

孫権: 窮地に立たされて笑っていたと…?

呂蒙: もし、大将たる甘寧が不安がっていたら、その配下の兵たちはどうなるかお考えになってみるとよいでしょう…

孫権: …そうか! 大将が不安そうにしていたら、配下の者も不安に思い、その士気は著しく低下、それどころか離反者や造反者まで出てしまうかもしれぬな…。
甘寧は、配下の兵たちが弱気にならぬよう、あくまで強気な態度を示していたのだな…!

呂蒙: ええ、そうだと思います。
その間に甘寧は周瑜殿に助けを求める手紙を出し、周瑜殿と俺が甘寧の救援に向かい、曹仁の別働隊の包囲を解いたのでしたな

凌統: 俺は周瑜さんたちが本陣を空けてる間、曹仁のお相手をしてたんだっけね…。甘寧のために俺が戦うってのも癪だったけど、これで甘寧の奴に恩を売ってやったから、まあ、よしとしますか…

孫権: 結果的に、お前たちの働きで曹仁を南郡から排除できたしな…本当によくやってくれた…!

呂蒙: で、南郡の後も、甘寧の働きはめざましかったですな…まさに、孫呉を代表する武勇の持ち主と言うに相応しい

孫権: 214年の皖城攻略では、呂蒙の推挙で升城督(城攻めの指揮官)となって真っ先に城によじ登り、皖城にいた太守・朱光を捕らえたのだったな

呂蒙: その後、荊州のことで劉備といざこざがあったとき(215年)、甘寧は魯粛殿の配下として益陽に駐屯し、関羽と対峙してその進軍を阻んだり、その後の合肥の戦いでは、張遼の奇襲に遇ったところを、我等とともに奮戦して殿をお守りしたりしましたな

孫権: 張遼め…本当に恐ろしい思いをしたわ…。
しかし、あの危地にあっても、甘寧は軍楽隊に活を入れ、雄々しさを失わなかったな…

呂蒙: …史実でも、窮地に立たされるほど滾る奴だったのでしょうな

孫権: 甘寧の武勇譚には事欠かないが、何といっても濡須口の戦いの働きは外せぬな!! 100騎で魏軍を混乱させ、無事に帰還したのだからな…曹操に一泡吹かせてやって本当に爽快だったぞ

凌統: 孟徳(曹操)に張遼あらば、我には興覇あり…ってやつね。呂蒙さんが合肥でほぼパクっちゃった台詞…(笑)

呂蒙: ほ、本当に申し訳ありません…つい口を突いて出て……

孫権: まあ、それはたいして気にせぬからよいが

凌統: (多少は気にしてるのね)

孫権: 私も、夜陰に乗じて魏軍に攻撃を仕掛けるよう甘寧に命じたが、まさかたった100騎でそれを成し遂げるとは思ってもみなかった…

呂蒙: 甘寧は粗暴な奴ではありますが、配下の兵を育てるのには熱心で、兵士たちも甘寧の言うことは喜んで聞いていましたからな。甘寧の部隊の団結力が非常に高かったため、この奇襲も成功に帰したのでしょう。
演義だと、この濡須口の奇襲では、100人全員が合印としてかぶとに鵞鳥の羽を挿していた、とありますな

凌統: あーーー、甘寧がいつも頭に挿してるあれね。無双じゃ完全にトレードマークになってるけど、あれは演義のこのエピソードに基づいてるのね。
…ま、甘寧のことなんてどうでもいいんですけど!

呂蒙: そういえば凌統、演義だと、お前はこの濡須口の戦いで楽進と一騎討ちになったときに馬を射られて、落馬して危ないところを甘寧に助け…

凌統: ちぃいえぃりゃあぁぁ!!! それ以上言ったら乱舞!!

呂蒙: ヌンチャクで叩かれるのは勘弁していただきたいです

孫権: まあ、とにもかくにも、お前も甘寧の力は分かっていたのだろう? もともとお前は、有能な者には敬意を払う案外紳士的な奴だからな

凌統: 案外って何なんですか…。
ま、じかに奴のこうした戦ぶりを見ちまったしね…同じ戦場に行ったことも少なくない…。いろいろ考えも変わったのかも…ね

粗暴な漢

孫権: 勇猛な将を得られて私も嬉しい限りだが、ただ甘寧は、粗暴ですぐに人を殺したり、他人のことに配慮しなかったりしたのがなぁ…

呂蒙: 人に完全を求めたりはしないが、奴が殺生を好むのは俺でも気分を損ねられたな…詳細は俺の列伝の冒頭の料理番事件でも見てくだされ…

孫権: 私のいとこの孫皎(そんこう)と大喧嘩したときも、私や子瑜(諸葛瑾)がどれほど心をくだいたことか…。まあ、あの一件は、甘寧を侮辱した孫皎のほうが悪かったのだが…。だから孫皎には手紙をやって奴の非を責めておいたが

凌統: でも殿、孫皎さんに届けた手紙で「甘寧は繊細さを欠いて意地っ張りな奴で、人の気持ちを損ねることがあるが…」なんて書いてましたよねぇ(笑)?

孫権: あ、あれは孫皎に配慮したのだ! …でもまあ、嘘ではない…だろう?

呂蒙: …そ、そうですな。

凌統: 「意地っ張り」っていえば、甘寧の奴、時々殿にも楯突いてましたよね?

孫権: そうなのだ…! 私の言うことに反抗することもあってな…!! 思わず腹を立ててしまったが……そのたびに呂蒙、お前が甘寧を庇っていたな…

呂蒙: まあ、俺もあいつには何度となく腹を立てさせられましたが、これだけの武勇を持った者はそうそうおりませんし、書を読んでいたこともあってか先見の明もある奴ですから…。
奴とは個人的にも親しい交わりを持っていましたし、俺ももともとは粗暴な奴でしたから、甘寧の考え方も分からなくもありませんし…

孫権: 確かに、甘寧の性格は難があったが、甘寧の成した働きを見れば、その欠点を補って余りあったといえよう

呂蒙: 甘寧が孫皎殿と喧嘩したとき、甘寧は「明主と出逢えた以上、そのご恩を返さなきゃ…」と言ったそうです。甘寧が存分に働けたのは、殿ご自身の器量によりましょう…。
劉表、黄祖と主君に恵まれなかった甘寧は、時に楯突いたりもしましたが、やはり殿にお仕えできて本望だったのではないでしょうか?

孫権: …ありがとう、呂蒙。
だが、私から見れば、同時にお前たちのようないい同僚にも恵まれて、奴も幸せだったと思うぞ

凌統: …それって俺も入ってたりします(笑)?
まあ、甘寧は孫呉にあったからこそ甘寧たり得た、ってことは言えるんじゃないっすか?
…ま、俺も、奴が呉に来てくれてよかったと思ってますよ……あんなに碁が弱い奴はいないんでね

呂蒙: まったく、相変わらずだな…!



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