陸遜伝・詳細   
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* かなり込み入った話で、このページでは書ききれなかった説明もありますので、別ページで補足してあります。【注】のついている部分に補足やら蛇足をつけましたので、興味のある方は別ページ(別窓で開きます)も参照なさってください。



陸遜: お久しぶりですこんにちは、陸伯言です。
重苦しい私の列伝を読んでくださった方、どうもありがとうございました! でも今度もまた重くなりそうな上、無双にも演義にも詳細が書かれていない知名度の低い事件を取り上げますので面白くないかもしれません。覚悟なさってくださいねvvv(笑顔)
こちらでは、私の憤死の原因、孫権様の後継者争いである「二宮の変」についてお話しせよとのことですが…

呂蒙: おお、陸遜!! 久しぶりだな♪

陸遜: 呂蒙殿!!! 相変わらず素敵な無精ひげですねvvv

呂蒙: おうっ、そうか!?(照)

孫権: 陸遜…私も肝を据えてお前に会いに来た…。
お前には本当にすまないことを…今日は、罪滅ぼしにお前の火計に燃やされに来た。甘寧と凌統も燃やされたいそうだ

甘寧凌統: そんなこと言ってないっつーの!!!

周泰: ……俺は……孫権様と……vvv

陸遜: そんな…!
主を盛り立てるのが臣の務め。私は臣として為すべきことを為してきたまでです。殿に火計なんて…臣としての忠節を損なうことはできませんよ…。
…甘寧殿と凌統殿はいつ燃やして差し上げてもいいんですが(ぼそ)

甘寧凌統: ヒィィ!!!!!

孫権: すまぬ…陸遜…!!
…私はこんなに優秀な男を配下に持ちながら、娘の私怨による讒言や、私にへつらってきたつまらぬ者たちのでっちあげを信じて、その忠節をあだで返すようなことを…。
悔やんでも悔やみきれぬ…

陸遜: いえ、孫権様はまことの明主…。ただ、権力と加齢とが殿の判断力を狂わせたのでしょう…。
殿は私の死後、わが子・陸抗に泣いて謝ってくださいました…殿の誤解が結果的に解けて、私も幸せだというものです…

孫権: …お前の優しい言葉…どんな難詰よりも心に染み入る…。
過去を悔いても仕方がないが、あの一連の後継者争いで私は、お前を始めとする社稷の臣を死に追いやり、偽りの甘い言葉の中に身を置いて、自らその真偽を糺そうともしなかった。…そしてついには、呉に衰亡への道をたどらせることに…全ては私の責任だ…

孫権の子息たち

孫権: この跡継ぎ問題について説明するには、まずは私の子供たちの説明をせねばならぬな…。
私の子供たちの主だった者を以下に示そう。

★孫登 (長男)
★孫慮 (次男。232年死去)
孫和 (三男・母は琅邪の王夫人。孫登の死後太子に)
孫覇 (四男。魯王)
★孫奮 (五男)
★孫休 (六男。呉の第三代皇帝)
★孫亮 (七男。呉の第二代皇帝)
孫魯班 (娘。全jに嫁ぎ、「全公主」とも呼ばれる。母は歩夫人)
★孫魯育 (娘。朱拠に嫁ぎ、「朱公主」とも呼ばれる。母は歩夫人、魯班の同腹の妹)

太字になっているのが、「二宮の変」といわれる後継者問題の重要な関係者だ。
ちなみに「二宮」というのは、三男の孫和と四男の孫覇の二つの役所のことだ。つまり「二宮の変」というのは、孫和と孫覇の争いということになる。陸遜の列伝の最後のあたりで話していたのがこれだ…

甘寧: で、さっきの話だと、最初は長男の孫登さんが正当な皇太子だったみたいだよな。孫和さんや孫覇さんじゃなくて

呂蒙: ああ、そうだ。
当初、皇太子は孫権様のご長男の孫登様だった。
孫権様が即位し(229年)、ご自分が都の建業に移った時のことだ。
それまで都を置いていた武昌の地に、孫登様と陸遜らを配置なさった。それほど孫権様は孫登様に期待をしておられたし、孫登様もそれにお応えするだけの優れたご子息だった…

陸遜: ええ、孫登様はまことに優れた方でいらっしゃいました…。皇太子だからといって偉ぶることはなく、謙虚でいらしゃった…。周囲への配慮も怠らぬ方でした。
……それなのに…

凌統: 241(赤烏4年)年に33歳の若さで世を去った…んだったっけな

陸遜: ……ええ…。この方が孫権様の跡を継いでくださる…孫呉の未来は明るいと…そう思っていたのに……

甘寧: 孫登様が死んだ跡は、次男の孫慮さんが継いだのかい?

孫権: いや、孫慮は孫登より先に死んでいてな…。孫慮が死んで私がふさいでいたとき、孫登が都まで上がって私を励ましてくれたのも懐かしい…

凌統: …ってことは、孫登様の跡を継ぐべき人は、孫慮様の次の孫和様ってことか…

孫権: その通りだ凌統。孫登の死後、私は孫和を皇太子に立てた

陸遜: 孫和様は、孫登様にも劣らぬ優れた人物でいらしゃいました。聡明で周囲の虚言に惑わされることなく、慎み深いお方で。
そんな孫和様の人柄、それに孫権様が賢い孫和様に愛情を注がれていたことから、孫登様は、自分の跡は孫和様を皇太子に立てて欲しいと遺言なさっていました。
孫和様が孫登様の跡を継ぐのは、道理からしても正当でしたし、孫和様自身の人柄・孫登様のご遺志もそれを後押ししていました。そこで孫権様は孫和様を皇太子となさったのです

甘寧: そんなら、どう考えたって孫和さん以外が皇太子になれる可能性なんてほとんどないじゃねえか。それなのに孫覇さんは皇太子の座を狙ったのか…?

孫権: …そうだな、本来ならば孫和以外に皇太子になるべき者はいなかった。
が…孫和・孫覇に対する私の扱い方と、私に近づいてきた者たちの讒言によって、その当然が覆ってしまったのだ……

孫和・孫覇の皇太子争い

凌統: 殿の話だと…後継争いが起こった理由は、まずは孫和さま・孫覇さまに対する孫権様の扱い方、もう一つはつまらない奴らの讒言ってことか…。
…孫権様は、二人のお子さんをどう扱ってらっしゃったんですかい? まずはそれをお聞きしましょうかね

孫権: うむ…一番の間違いは、二人の扱いを同等にしてしまったということだ。
孫和は、後に皇帝となるべき皇太子。一方孫覇は、後にその孫和を補佐する臣となるべき者。二人には、後の皇帝・後の臣として、それなりの区別をせねばならなかった
しかし私は、孫覇にも孫和と同様の扱い方をしてしまった。孫覇が皇太子にならんとする野心をもたげる根本的な温床は、ここにあったと考えてよかろう

呂蒙: しかし、殿はすでに孫和様を皇太子に立てていらっしゃる。加えて孫和様には皇太子たるべき条件が揃っているのですから、皇太子たるべき資格を持たぬ孫覇様がこれだけの理由で野心を抱くとは思われぬ。
…それを覆したのが、殿が二つ目に挙げられた「讒言」になるのでしょうか…

孫権: その通りだ…。
私の娘・孫魯班が、孫和とその母・王夫人を讒したのだ…判断力の鈍った私は、その真偽を自ら判断することなく鵜呑みにした。これ以降、私は孫和を嫌うようになった…。【注1】
と同時に、魯班、それに孫覇の取り巻きたちが孫覇を褒めちぎるものだから、私は孫覇の方を気に入るようになった。そして、孫和を廃して孫覇を太子にしようか…と思うまでになった…

凌統: 陸遜伝の「周囲の差し金で、殿が孫覇さんを寵愛するようになった」ってのはこのことか…

甘寧: …にしても待てよ?
孫魯班さんってのは孫権様の娘、孫和さんも孫権様の息子…ってことは、孫和さんと孫魯班さんってのは兄弟だろ?
魯班さんは兄弟を悪し様に言ったってことか…?

孫権: どうやら魯班は、孫和の母である王夫人と仲が悪かったらしい。理由はよく分からぬのだが…。
そこで魯班は、王夫人と孫和に対する讒言を私に吹き込んだのだ。王夫人が憎いのなら、王夫人の生んだ孫和が帝位に即くのも邪魔したかったのだろう…。
そして、孫和を貶めるのと同時に魯班が当て馬にしたのが孫覇だ…

呂蒙: …そのようですな。
おそらく魯班様は、孫覇様が孫和様と同等の待遇を得ていたことに目を付けて、孫覇様を立てて孫和様と争わせたのだろう。
同じ待遇を得ていたということは、それなりによく比較されもしただろう。聡明な孫和様に対し、これといってすぐれた点を持たぬ孫覇様…。
魯班様は、孫権様の孫和様に対する寵愛を殺いだ後、そんな孫覇様の劣等感を煽り立てて、孫和様と争わせたのかもしれぬ……憶測に過ぎぬがな…

陸遜: こうして、魯班様の手回しによって、孫覇様が太子になろうとする野心を起こし、孫和様と孫覇様の仲が険悪になっていった…。
呉の官僚たちもこの様子を見て、孫和様・孫覇様の両方の役所に自らの子供たちを送り込んで、保身の策を取ったようですね…私はこの当時、都・建業の西方の武昌の地に駐屯していて、知人の手紙や話によってなんとかその様子を知ることができるばかりでしたが…

甘寧: そういえば陸遜は、殿が帝位について建業に都を置いた後(229年)、武昌に居て魏に睨みをきかせてたんだったな

陸遜: ええ。都から離れた場所で、私は煩悶するばかりでした…。官僚たちが両方の役所に子弟を送り込んで、孫和様と孫覇様のどちらが勝っても一族を守りたいなどという考えはもっての他です…!!
太子は孫和様なのですから、孫和様を盛り立てるのが呉の臣としての務め。一族の保身など二の次とすべきです。
…しかし、官僚たちがそういう行動を取ってしまうほど、孫和様と孫覇様の力は拮抗していた…そして、拮抗しているからこそ、二者は折り合えず対立関係に陥りやすい…。
…孫和様と孫覇様は、そこに陥ってしまったようです

凌統: ま、手っ取り早く言えば、魯班さんが王夫人を憎い一心で、王夫人とその子の孫和さんを悪し様に言った。で、孫和さんを太子の座から引きずり下ろしたいから裏でいろいろ工作して、孫覇さんを孫和さんの対抗馬に仕立て上げた。その結果、孫和さんと孫覇さんが争うようになった。
…ってところですかね。魯班さんの私怨が、皇太子争いなんていう大事を引き起こすなんて…冗談抜きで恐ろしいねぇ

呂蒙: うむ、そんなところだな。
この孫和様と孫覇様の対立は、やがて官僚の子弟だけではなく呉の重臣たちをも巻き込んで、呉を二分する事態となる…

家臣も真っ二つに

陸遜: 私は当然、道理に従って孫和様を太子としてお守りする所存でした。そう考える重臣も多くいました。
が、孫覇様の背後に孫魯班様がいらっしゃることもあり、何人かの重臣たちが孫覇さまを擁護する立場にいました…

呂蒙: 殷基という人物の著した『通語』という文に、その派閥が書いてある。それを参考にしながら派閥を分けてみると…

●太子孫和擁護派【注2】
○ 陸遜(丞相)
○ 諸葛恪(諸葛瑾の子)
○ 顧譚(陸遜の前に丞相を務めた顧雍の孫。陸遜の甥にあたる【注3】
○ 朱拠(魯班の妹・孫魯育の夫)
○ 吾粲(太子太傅=太子の教育係の長官)
○ 陸胤(陸遜の一族。孫和から厚い礼遇を受けていた)
○ 施績(=朱績のこと。朱然の子)
○ トウ胤(孫家・諸葛家と婚姻関係にある様子。会稽太守)
○ 丁密(呉の尚書)

■魯王孫覇擁立派
□ 全j(孫魯班の夫)
□ 歩シツ(陸遜の死後丞相となる。魯班の母・歩夫人の同族)
□ 呂岱(異民族討伐で功績がある。鎮南将軍)
□ 呂拠(呂範の子。左将軍)
□ 孫弘(呉の中書令)

太字になっているのが、二宮の変に特に関係の深い人物たちだ

甘寧: ん? 孫覇さん側で太字になってる人がいないな?

陸遜: ええ、孫覇様派となっている方たちは基本的に、孫覇様を積極的に擁護していた訳ではないのです。
たとえば全j殿は、あの魯班様が妻です。魯班様に従わざるを得なかったのでしょう…。【注4】
歩シツ殿も優れた人物ですが、その一族に魯班様の母上がいらっしゃったために、孫覇様方を擁護する態度を取られたのかもしれません。
彼らは孫覇様を表立って擁護することもありませんでしたし、孫和様を擁護する私たちを陥れたりもしませんでした。孫覇様方の重臣たちは、多くは消極的立場から孫覇様を擁護していたといえましょう

凌統: …でも、陸遜たちは讒言を受けてひどい目に遭わされたんだろ? こりゃどういうことなんだ…?

陸遜: 問題は、上に名を連ねていない、これといった官爵を持たぬ者たちです…。その者たちが孫覇様に取り入ったり、孫権様に近づいて私たちを悪し様に言ったのです。
その主要な人物は、全j殿の次男の全寄、そして楊竺という者…。
この者たちが、二宮の変に乗じ、私怨を晴らそうとしたり、権力を手に収めようと暗躍したのです。
その者たちの讒言により、私たち孫和様を擁護する者はあらぬ罪で…

陸遜と楊竺

孫権: 孫覇の取り巻きの中で最も凶悪だったのが、この全寄・楊竺の二人だったな…。
あの二人の讒言を信じ込んで、私は……顧譚を流罪にし、吾粲、そして陸遜を死に至らしめた…

凌統: 全寄は全jさんの子で、魯班さんの義理の息子になるよな。ってことは、全寄の後ろで魯班さんが糸を引いてたかもな…

孫権: 断言はできぬが…ありうることだ。魯班は、全寄を孫覇に近づかせ、全寄を通して自らの意図を実現させていたのかもしれぬ

甘寧: じゃあ楊竺って奴は? なんで孫覇さんについたんだ?

陸遜: …私を恨んでいたのでしょう、楊竺は…

凌統: えっ、あんたを…?

陸遜: …楊竺は若くして、優秀な人物だと評判を得ていました。
が、私にはそう見えなかった…弁舌は立っても、実が伴っていない危険な人物に思われたのです。
だから私は、楊竺は将来身を誤るであろうと言ったことがありました。余計なお節介かもしれませんが、楊竺の兄に対して、弟と絶縁するのがよいと勧めました。
私の発言にはそれなりに力があります。これ以降、楊竺の名声は失墜したかもしれません。
それで楊竺は…常々私を憎んでいたのかもしれません

呂蒙: その私怨を晴らす絶好の機会が二宮の変ということになるか…。
陸遜が孫和様を擁護することは、その性格と立場からして明らか。ならば、孫和様と敵対する孫覇様を擁立し、孫和様を太子の座から引き摺り下ろすことができれば、孫和様ともども陸遜を失脚させることもできる…。
しかも孫和様が太子を廃され、孫覇様が太子…後に皇帝となるとしたら、孫覇様即位の足場を固めたことを評価されて権力を掌握できるかもしれない…そう考えたのかもしれぬ

甘寧: もし孫覇さんの擁立に成功すれば、私怨を晴らすと同時に、権力まで手に入るって算段か…。気にいらねぇ奴だぜ!

全寄・楊竺の暗躍

陸遜: 全寄もまた、私の甥の顧譚を恨んでいたようです。全寄は曲がった性格の男でしたので、顧譚はかねがね全寄を軽蔑していたようです。
全寄は、魯班様の息がかかっていると同時に、太子孫和様派の顧譚を陥れたいという個人的な野望もあったのでしょう

孫権: …全寄と楊竺の讒言は執拗だった。それこそ毎日のように孫和派の人物の讒言を私の耳に入れた。全寄の讒言によって、私は顧譚、それと顧譚の弟の顧承を南方の僻地に流罪にしてしまった…【注5】

呂蒙: 孫権様は、誠実な顧譚のことを気に入っていらっしゃり、最初の太子だった孫登様の友として迎えていたのに…。全寄の讒言はそれすら覆したということか…

孫権: …全寄はこうして私怨を晴らすことに成功した。そして、楊竺も…

陸遜: ……

呂蒙: 楊竺が陸遜に恨みを持っていたかもしれないことは前述の通りだ。
もう一人、楊竺の恨みを買っていた人物がいる…孫和様の太子太傅だった吾粲だ

凌統: 吾粲も俺と同じ呉郡の出身だから噂は聞いてるぜ。吾粲は顧譚さんの親父の顧邵(こしょう)さんの後押しを受けて、陸遜と同じくらいの名声を得ていたらしいな。顧譚さんの一族には恩があるんだな

呂蒙: 吾粲は、顧邵殿の見込んだとおりの実直な男だった。その上孫和様の太傅を務めたのだから、当然孫和様をお守りするべく力を尽くした…。
都の二宮の変の様子を陸遜に伝えていたのも、この吾粲であったな

陸遜: ええ…吾粲殿は、都で孫和様をお守りする一方で、武昌に居る私に都の状況を逐一報告してくれました。そのおかげで、私も都の状況を詳しく知ることができ、吾粲殿の手紙に書かれていた現状に基づいて、殿にお諫めの手紙をお送りしていました

甘寧: 吾粲は孫和さんのために尽力してたんだな…。そのせいで、楊竺って奴の恨みも買ったのか?

陸遜: そうですね…。
吾粲殿は孫権様に対し、孫覇様を都から出して夏口に駐屯させて嫡子・庶子の区別を明確にし、加えて孫覇様に取り入って讒言をほしいままにしている楊竺を都から追放せよと申し上げました。
楊竺は孫権様の間近に近づくことを許されていたようですから、孫権様の口から吾粲殿の奏上を聞き、吾粲殿を陥れようとしたのではないでしょうか…

凌統: で…吾粲も楊竺の讒言の餌食になったってかい…?

陸遜: ええ…。吾粲殿の死は、私と関わりがあります。この後、私のことを話すときに、吾粲殿についても触れましょう…

陸遜の憤死

呂蒙: …では、陸遜と吾粲が楊竺の讒言を受けてどうなった、か…

陸遜: 楊竺は…私の罪状を20条もでっちあげ、これを孫権様に告発していたようです

甘寧: 「陸遜の罪」を20条もでっちあげやがったのか!? 楊竺って奴は…

陸遜: 当然私は、呉のために事を成すことはあっても、罪となるようなことは何もしていません。全ては楊竺のでっちあげです。
…ただ、孫権様が、これを信じてしまわれた…

孫権: …そうだったな…。
吾粲から都の情報を得ていた陸遜の度重なる諫言の手紙は、的を射ていることもあり私に少なからぬ不快感を与えた。さらに、呉の四姓の一人である陸遜の力にも、私は脅威を覚えていたのかもしれぬ…。
そこに楊竺が陸遜の罪状を吹き込んできた…

陸遜: 私とて、何度も殿にお諫めの手紙をお送りするのは本意ではありませんでした。
諫言は耳に痛いものですし、私とて殿の間違いを手紙にしたためるのは心が痛むものでした…孫権様を明主と信じていたからこそ…。
でも、私にはこれしか方法がなかった。武昌の地にある私には…

孫権: ……

陸遜: しかし、手紙でお伝えできることはほんのわずかです。
私は、ほんの一刻でも、殿と向かい合ってお話をさせていただけるだけでよかった。私の顔を見て、私の声を聞いて、意見を聞いていただけるだけでよかったのです…そうすれば、文字では伝わらない私の切なる気持ちもお伝えできたでしょう…

呂蒙: …その話しぶりだと…殿と対面してお話することは叶わなかったようだな…

陸遜: …はい。
殿は、楊竺との対面はなさっても、私との対面はお許しくださらなかった…。
そして、私が苦しい胸のうちで書き上げたお諫めの手紙の代わりに返ってきたものは…私の罪を詰問する使者でした…

孫権: ……

陸遜: 精一杯の忠誠を尽くしたはずなのに、かえってありもしない罪で責められるとは…。私もさすがに、これにはやるせない気持ちで胸が塞がりました。
そして、何もできない自分が悔しかった…。殿が間違った道に足を踏み入れているのに、それを正しい道にお戻しできない自分が…。
…私の憤死に至る経過は、そんなところです

呂蒙: …そして吾粲は…陸遜と手紙のやりとりをしていたと言いがかりをつけられ、牢獄送りにされた。その牢獄の中で、吾粲は殺害された

凌統: そんな…手紙のやりとりが罪になるってかい…? しかも、そんなことで命を奪われるなんて…

呂蒙: …それだけ楊竺らが、孫権様に巧みに讒言を申し上げたのだろう。陸遜と手紙のやり取りをしていただけで、死に至るような罪になるものか…!
適当な罪状を作り上げて、孫覇様方が邪魔者を排除しただけ

陸遜: そして私の死後も…孫和様と孫覇様の二派の争いは続きました
私と吾粲殿の死後は、朱拠殿などが必死に孫和様を守り、正しい道を守ってくれていました。
が、朱拠殿もあまりにお諫めが過ぎるということで煙たがられ、都から地方に追い出されてしまいました。しかも、孫覇様方の孫弘が偽の孫権様の命令書をでっちあげ、朱拠殿を自殺させた…

甘寧: 道理を守ってる奴らが次々に死ななきゃならねぇなんて…なんだかやりきれねぇよ…!

二宮の変関係者の顛末

凌統: 孫和さんをお守りする重臣が次々に死んじまって…ってことは、腹が立つけど、孫覇さん側が皇太子の座を得たのかい…?

陸遜: いえ…結論から言えば、孫和様も孫覇様も、お二人とも皇太子の座を外されました。私の死後5年目(250年)のことです

甘寧: 何だって!? どうしてそんなことになったんだ…

呂蒙: 喧嘩両成敗、という形だな…。
家臣たちがこうも過激に孫和様・孫覇様を盛り立てていると、どちらかが皇太子→皇帝になった場合、それを擁護していた家臣たちの発言力というのは強大になり、皇帝の権威は弱くなる【注6】。それを避けるために、孫和様・孫覇様を皇太子とするのをおやめになったのだろう

孫権: そうだ…私は孫和を皇太子から廃して、地方に強制移住させた。そして孫覇とその一党には自殺を命じた

呂蒙: 孫権様もこの頃には、孫覇様一党がおかしいことにお気づきになられていたようだ。
孫覇様一党だが…孫和様を陥れたという罪で、孫覇様と全寄が自殺を命じられた。楊竺は殺された挙句、長江に遺体を投げ棄てられたという…。楊竺の兄は、弟の行為に反対していたため、死罪は免れたが南方に流罪になった

凌統: …陸遜の指摘は当たってたんだな…楊竺が身を誤るって指摘は。楊竺の兄さんも、陸遜の言うようにしてたから、なんとか命は助かったって訳だ

甘寧: 孫和さんも孫覇さんも皇太子じゃなくなったんなら、誰が皇太子になったんだ?

孫権: 私の末子の孫亮だ…私の死後、呉の二代目皇帝となる。幼いが聡明だったから、孫和のかわりに孫亮を太子にしたのだ…。
…いや、これは純粋に私の意志によるものではなく、ある者の意図にもよるのだがな…

凌統: ? 一体誰の…

陸遜: …魯班様ですよ…

甘寧: 何だと!? 魯班さんは孫覇さんを後押ししてたじゃねぇか! ってことは魯班さんは孫覇さん派だろ!? それが何で孫亮さんを太子にしたがるんだ?

陸遜: いえ…魯班様は、孫和様と孫覇様が共倒れになるようにしただけです。ぶっきらぼうに言えば、魯班様は孫覇様を捨て駒として使ったにすぎなかった…。
孫覇様を孫和様と争わせる一方で魯班様は、孫権様が孫亮様を気に入っていらっしゃることを察知していました。
そこで、嫁ぎ先の全家の女性を孫亮様に嫁がせ、孫亮様が太子、のちに皇帝となったときに、自分の一族が力を持てるように手を回していたのです…

呂蒙: 孫権様も、孫覇様方が讒言をほしいままにしていたという二宮の変の真相に気づき、もう一度孫和様を太子にしようかと迷われたことがあった。
しかし、魯班様らがそれに強硬に反対して、結局孫亮様が皇太子となった…。しかも魯班様は念入りに、孫和様を自殺に追い込んだ…【注7】

凌統: 全く、つくづく恐ろしい女性だね…。
結局、全ては魯班さんの思い通りになったって訳か…すっきりしないねぇ、ったく

孫権: …そうだな…。私は娘に操られていることにも気づくことができなかったのだな…

呂蒙: 魯班様の策略は見事に当たったと言っていい。孫亮様の代のうちはな…。
孫リン(孫チンとも読む。【糸+林】)という者が権力を握るようになると、魯班様をそれほど大事に扱わなくなった。そこで魯班様は、孫亮様など身近なものを巻き込んで孫リン殺害計画を立てた。
が、これが未然に孫リンにばれ、孫亮様は廃位となって地方に流され、かの魯班様も強制移住をさせられた

甘寧: 魯班さんにも年貢の納め時が来たってこったな…

呂蒙: これで、二宮の変の主要な関係者は皆、表舞台を去ったように見える。
が…最後に孫和様方の人物が一人、呉の末期に表舞台に登場する…

凌統: えっ、そんな後になって…?

孫権: …呉の最後の皇帝・孫皓…。孫和の息子だ…

凌統: あの暴君が!? …孫和さんの子だったんだ…

陸遜: 孫皓様は、父の孫和様がひどい目に遭わされたことに対し、強い負の感情を持っていました
孫皓様は皇帝となると、地方に流されて死んだ孫和様の霊を都に迎える儀式を行い、孫和様に皇帝の位を追贈しました。霊を迎え入れるとき、孫皓様はむせび泣きながら祭礼を行ったといいます…。
そして、当時呉の朝廷で位を得ていた孫覇様の子たちの位を剥奪し、地方に強制移住させたりしました

孫権: 孫皓は呉の皇帝であったが、父を殺した呉を恨んでいたのかもしれぬ…。暴虐の皇帝になってしまったのは、そんな背景によるのかもな…。
二宮の変がなければ、孫皓もああはならなかったかもしれぬ…

呂蒙: 二宮の変では多くの良臣が死に、以後亀裂が走った呉の内部では呉の臣が呉の臣を殺しあう事態が続くことになった…。
ほんの些細なことから始まった変だが、その影響は非常に大きかったといえるな…

孫権: …私がどこかでおかしな点に気づくことができていれば、こんなことにはならなかっただろう…。
皆が命を懸けて創りあげてきてくれた呉だったのにな…自分が情けなくて仕方がない…

呂蒙: もう仰いますな…! 俺たちは殿の下で働けて幸せでしたよ…

陸遜: ええ…殿の下だったからこそ、私もその才を伸ばすことができたというものです…!

孫権: …すまぬ…!!

周泰: ……孫権様……!(励)

甘寧: あ、そーいや周泰もいたんだっけ? 何も言わなかったからすっかり忘れてたぜ

周泰: ……甘寧と…凌統が…真面目すぎた……
……気味が悪くて……口を挟めなかった……

凌統: ひどいっつの!! 俺だって真面目になるときは真面目になるんだぜ!! 甘寧は知らないけど!

甘寧: そうだそうだ!!…っておい凌統〜〜っ!!

呂蒙: あーー、また始まったか…周泰に火種を撒かれるとはな…(苦笑)

陸遜: ……火種、ですか…

呂蒙: っておい陸遜!! まさか…

陸遜: 甘寧殿、凌統殿…そういえば私の火計を体験しにいらっしゃったんですよね? ここで本題に参りましょうか?

甘寧凌統: ギャーーー!!! 勘弁してくれりくそーん!!!

孫権: はっはっは!!! この仲睦まじさが孫呉の良さよ!!

陸遜: お任せください孫権様!! さぁ、行きますよ?

呂蒙: ……だ、誰か止めてくれぇぇ〜〜…!!!



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