陸遜伝   姓:陸  名:議→遜  字:伯言  諡:昭侯  呉郡呉の人  183-245
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周泰: …………

孫権: …………

凌統: …………

甘寧: …………

呂蒙: ……………はっ!! こんにちは、呂子明です。…空気に呑まれてつい沈黙してしまった…。
甘寧、凌統! お前たちまで黙ってどうするのだ!! 盛り上げ要員で呼んだというのに…

甘寧: わ、わりぃ…。周泰がいると、なんだか調子がおかしくなっちまってな…。

周泰: ……俺の…せいか……?

凌統: んーー、まぁそれもあるね。でも、周泰だけじゃなくて殿までダンマリなもんで…。
周泰は置いといて、何で殿までそんな無口なんです? 陸遜に燃やされかけてしょんぼりしてるとか?(笑)

孫権: ……ふ、むしろそちらの方がよいかもしれぬ…

凌統: はぁ!? 燃やされた方がいいって何すか?

孫権: 陸遜には悪いことをしてしまってな…たとえ身を焼かれても償えないほどの…

周泰: ……孫権様……

甘寧: な、何があったんだよ…? だって、おっさんの推挙があって以来、殿が全幅の信頼を置いてたのが軍師さんだったじゃねーか…悪いことなんて俺知らねぇぜ?

呂蒙: 俺たちが死んだずっと後だからな、殿の言う「悪いこと」というのが起きたのは。陸遜は呉の有力な豪族の出身…これがまた複雑な事情を生んでいてな。それに、晩年の孫権様が………うっ、俺には言えん……

孫権: それは後で私が言おう。それがせめてもの償いか…。正直なところ、私が陸遜を語ること自体、心苦しくて仕方ないのだ…ううう;

周泰: ……孫権様……!!!(励)

呂蒙: あまり気に病まれないでください…そのための甘寧と凌統ですし…!

甘寧凌統: おっさんどういう意味ー!?

陸氏と孫氏の因縁

甘寧: あ、その前に! 一番上の名前の説明でよ、「議→遜」ってなってるのは何なんだ?

凌統: 陸遜ってもともと陸議って名前だったんだよ。お前知らないのぉ?プッ

甘寧: ぬがぁー凌統てめぇーー!!!

呂蒙: 他国の文献だと「陸議」と書かれることが多いな。名前が売れ出した頃…荊州奪還の頃は「陸議」と名乗っていたのだろう

甘寧: じゃぁ俺たちって、陸遜のこと「陸議」って呼んでたのかも、ってことだよな

周泰: ……陸議ーー!(←呂蒙の口真似のつもり)

甘寧: ぎゃぁぁ!いろんな意味で気持ち悪いぜ周泰!! しかも似てねぇし…。ってかお前案外ノリがいいんだな…(笑)

周泰: ……俺も…賊だった……

凌統: 元水賊だからって、なにも笑いで甘寧と張り合おうとしなくてもいいっつの…

孫策: よーう!! 久しぶり! みんな元気してるみてぇだな!!

孫権: あ、ようこそ兄上!!! こんなところでお会いできようとは…(嬉涙)!!

孫策: おう、陸遜の一族と俺は因縁があるからな…それについて話しに来たぜぇ

甘寧: 因縁? 陸遜と孫策様にそんなものがあるんですかい?

孫策: んあぁ、まぁな。
親父(孫堅)が死んだ後、俺はやむなく袁術を頼ってた。その時に、袁術から「廬江太守・陸康を討て」って命じられたんだ。袁術の奴が陸康に物資を送ってよこせって言ったんだが、陸康がそれを拒否したから袁術が頭に来てなぁ

呂蒙: 陸康…陸遜の父のいとこにあたる人ですな。当時陸氏一族をとりまとめていたという…

凌統: 陸遜は早くに父親をなくして、この陸康さんのところに身を寄せてたんだよな。でも、袁術が攻めてくると知った陸康さんは危険を感じて、陸遜や自分の息子の陸績さんを故郷の呉に帰したんだっけ。
俺も呉郡の出身でね、陸氏一族というと呉で有名な豪族だからねぇ…そんな情報も耳に入ってくるわけ

孫策: その袁術の手先として陸康を攻めたのが俺だ…袁術の言いなりになるのは嫌だったが、当時の俺はそんなこと言ってられるほどの力がなくてな…。
それに、以前俺は陸康に軽んぜられたことがあってな…ちょっとむかっ腹も立ってたんだ。
陸康は人心を集めてたから予想以上に戦線は膠着したが…俺は陸康のいる廬江城を手に入れ、廬江を失った陸康はまもなく病気で死んだ

孫権: 一族の柱を失った陸氏一族は、このために路頭に迷うことになった…廬江が落ちてから、一族の半数近くが死んだという…

周泰: ……陸遜は……どうした…?

凌統: 陸康さんが死んだ後、その後を継ぐのは息子の陸績さんになるはずだったが、陸績さんより陸遜の方がちょっと年上だってんで、陸遜が一族のとりまとめにかかったんだ。
でも、陸績さんより年上ったって、陸遜だってまだ二十歳にもならないんだからな…。しかも一族は瓦解状態だし…苦労したでしょ

孫策: …まぁ、間接的ではあるが、俺が陸遜、それにその一族をそこまで追い詰めたってことだな…。陸遜から見りゃ、俺は陸氏一族の仇に見えるかもしれねぇ…

孫権: しかし、兄上の亡くなった後の建安8年(203)、陸遜は私の幕府に出仕してきた。私は当時ちょうど陸遜の故郷である呉郡呉県に軍をとどめていたし、呉一帯を統治していたのは私だったからな…

呂蒙: 陸遜は民を非常に大事にしましたからな…地元の民のために何かをなすため、ねじれた過去に縛られてつまらぬ意地を張るのではなく、呉を支配なさる孫権様のもとで働くことを望んだのでしょう…

孫権: 陸遜が私を求めたのと同様、私もまた当時は陸遜の力を欲していた。
…いや、より正確に言えば、「陸遜の力」ではなく「陸氏一族の力」…だったかもしれぬ…

甘寧: …なんだか歯切れの悪い言い方ですねぇ

孫権: 私が呉で人の心を集めるには、呉の有力な豪族である「呉の四姓」を味方に付ける必要があったのだ…陸氏はその一つという訳だ。
私はその「陸氏の力」を味方につけたかった…

凌統: 要は殿は、当時はまだ陸遜の力をよく知らなくて、陸遜自身というよりは、その血統が持つ求心力が欲しかったというわけですか…

孫権: …打算まみれで皆には嘲われるかもしれぬが…そんなところだ

呂蒙: 嘲うなど!! 殿が打算に縛られる方ではないことは俺たちがよく知っています!! 現に、何の後ろ盾もない俺たちを登用してくださった…殿は、家臣の家柄を見て登用するのではない…ちゃんと人物を見て人を用いなさる!!
陸遜とて、最初はその家柄を重視なさったかもしれぬが、殿が陸遜を信任するようになったのは、間違いなく陸遜という一人の人間を信じてのことだったと、俺は…!

甘寧: 俺だって、殿の下じゃなければあんなに暴れられなかったですぜ!! それに乱世じゃそんなことはよくある話でさ! 曹操だって、荀ケ荀攸やら陳羣やら、潁川郡の名士をみんな抱え込んでやがったし…。
…ところで「呉の四姓」って何?

凌統: ふ〜、ば甘寧には参っちゃうねぇ

甘寧: ぐおおお凌統てめぇ〜〜〜!!!! 黄祖のところにいた俺はそんなこと知らねぇんだよぉ!!

呂蒙: でも潁川の名士は知っているのか、甘寧…(笑)。
呉の四姓というのは、呉郡の有力な豪族の陸氏・張氏・顧氏・朱氏のことだ。陸遜、張温、顧雍、朱桓がその代表格だな

甘寧: へぇー、知らなかったな。この4人、みんな呉にいたよな…顧雍や張温は無双には出てこないけどよ。ってことは、殿は呉の四姓全てを味方につけたってことだよな

孫策: お、案外鋭いなぁ甘寧! 内政に関しては、権は俺以上だからな! 四姓をみんな招いて呉の統治に当たったおかげで、俺が築いた地盤も安定したんだと思うぜ。ありがとうな、権!

孫権: 兄上…!!!(照)

孫策: お、そろそろ時間だ! じゃあな、また会おうぜ!!

凌統: 孫策様って、いつもふらっと来てふらっと去るよな

甘寧: ま、孫策様らしいんじゃね? …って、俺が呉に来る前に孫策様って死んでるからよ、史実じゃ面識ないんだけどな…

異民族討伐で手腕を発揮

孫権: 陸遜が私の傘下に入った当初、最も功績を挙げたのは山越という異民族の討伐だったな

甘寧: 異民族討伐ってーと…無双だと南蛮討伐があるけど、実際は南蛮じゃなくて山越って奴らと戦ってたんだな

呂蒙: うむ。山越は我等孫呉の内患だからな。俺も凌統も山越討伐に行ったことがある。奴らを黙らせんと、魏や蜀との戦いに専念することもできん

孫権: 陸遜は、山越を平定するだけでなく、その中から兵士を募りたいと申し出てきた。そして、山越を平らげては部隊を編成し、数万の兵を得たのだ

呂蒙: 我等は魏や蜀との国境での戦いに従事していたが…その背後にあって軍事力を補強してくれていたのが陸遜だ。
歴史の上から見れば裏方だが、孫呉の軍事力増強のために陸遜は大きな役割を果たしたと言えるであろうな

凌統: あ、俺も陸遜と同じで、不服従民を討って軍事力増強を…って殿に進言したことがあるぜ

甘寧: へー、はいはい

凌統: 甘寧貴様〜〜〜ッ!!!!!

周泰: ……仲がいいな……

甘寧凌統: よくねーーーよ!!

呂蒙: まともにこやつらの相手をしていたら胃がもたんぞ、周泰…(苦笑)。
まぁ、陸遜はこうやって呉の内患に対処していて、国外には名を知られていなかったのだ。呉の名族といっても、その知名度は呉郡の周辺のみ…魏や蜀には知られておらん。
魏も蜀も…後に天下を共に争うことになる逸材が呉の内に潜んでいようとは思っていなかったであろうな

呂蒙とともに荊州を奪取

凌統: 陸遜がその名を他国まで響かせたのは、呂蒙さんと一緒に荊州で関羽を討った時になるかねぇ

甘寧: 曹操も恐れる英雄を屠ったんだからな。おっさんはともかく、名前も聞いたことがない男が表舞台に立ってよ 

孫権: 関羽が魏の樊城を攻めて荊州を留守にし(219年)、われらが荊州を取り戻す絶好の機会がやってきた。
が、関羽は呂蒙を警戒して、荊州に多くの兵をとどめていたから、たとえ関羽がおらずとも、そう簡単に荊州を落とせる状況ではなかったな

甘寧: おっさんは、皖城だの濡須口だので手柄立てて、魏にも蜀にも名前を知られてたからな。関羽が警戒するのも無理はねぇ

凌統: で、そのときに呂蒙さんが自分の代わりにって陸遜を推挙して、対関羽の最前線に行かせたんだよな。関羽の油断を誘うためにね

呂蒙: そうだったな…何やら懐かしい。
俺は、関羽の油断を誘うべく、荊州の最前線の陸口を離れて建業に戻った。その途中だった…陸遜が俺のもとを訪れたのは。
山越討伐に従事していた陸遜が何用かと最初は思っていた…まさか、国内にとどまっていた男が、あれだけ天下の趨勢を把握して「関羽を討つべきです」と進言しようとは思ってもいなかった。俺の秘策と同じことを考えていたのだから、正直驚いたな…。
国境地帯におらずとも、これだけ天下の趨勢を洞察する男だ…もし天下を争う表舞台に立ったならば、どれだけその力を伸ばせることか…。実は、この時まで陸遜とはたいした面識がなかったのだが、奴と話して、自分の後任にはこの男をおいて他にはないと思った…

凌統: てか、それまで呂蒙さんと陸遜がたいして面識なかったのがかなりの驚きだよね

孫権: で、建業に着いた後、お前は陸遜を後任に推挙したのだったな。関羽と隣接する重要な地点に、国境での戦闘の経験がない陸遜を送るのには少し不安があったが…私も、この頃には陸遜に国を背負うだけの器量があることはなんとなく察していた。それを試してみたくもあった。
結局、私の不安は杞憂…いらぬ心配で終わったな

呂蒙: ええ。関羽を持ち上げる手紙を送って油断を誘い、その一方で密かに関羽の行動を観察して、荊州を落とすべき機を教えてくれたのも陸遜だ。
やはり、俺の目に狂いはなかった…!!

甘寧: 陸遜のこと話してる時のおっさんって、やたら嬉しそうだよな

周泰: ……師弟愛………

呂蒙: 荊州が手薄になったところを俺と陸遜が急襲して、民を傷つけることもなく、即座に取り返すことができた。やはり、陸遜でなければ、あれだけ荊州の防御を薄くすることはできなかったであろうな!

凌統: …ほんと、嬉しそうだよね呂蒙さん

孫権: 荊州を奪取し、関羽を斬った後、頼りにしていた呂蒙が死んでしまったのが非常に悔やまれたが…。しかし陸遜は、呂蒙が見込んだとおりの大器だった

呂蒙: 俺の推挙もありましたが…俺の死後、そのまま陸遜を信任して大任を預け、陸遜がその大才を遺憾なく発揮できたのは、殿ご自身のおかげでしょう。
関羽を討たれた報復と称して劉備が攻め込んできた夷陵の戦い(222年)で、乱世の裏表を知り尽くす劉備を相手に回し、孫呉の総大将として臆することなく戦って勝利するとは…俺の見込み以上ですよ

夷陵の戦いで劉備を破る

凌統: 夷陵で陸遜が敵に回したのはもちろん劉備だけど、味方のあしらいにも苦労したんだってね。若造だって軽視されて、みんな陸遜の言うこと聞かなかったんでしょ?
あ、ちなみに俺とか甘寧とか、無双や演義の夷陵の戦いには出てるけど実際にはもう死んでて行ってないんで、そこんとこよろしく☆

周泰: ……陸遜は……戦の経験が足りない……

甘寧: …って、韓当みたいな古参の将軍や、孫桓みたいな孫家に連なる人たちは思ってて、好き勝手に行動したり、陸遜に文句言ったりしたんだってな。
しかも、緒戦で劉備に攻め込まれて呉の土地を奪われたのに陸遜がひたすら持久戦法を取って戦いを起こさなかったもんだから、血気盛んな武将どもはイライラしてたらしい。気持ちは分かるけどな!

凌統: ま、実績がない状態だったんだから、古株さんや皇族さんに軽んぜられるのも仕方ないかもな。荊州での作戦は、呂蒙さんとの共同作戦だったしね…それまでの陸遜個人の戦歴ってのは、対山越戦だけだったと思っていい

呂蒙: しかし、陸遜はそれにめげたり臆したりすることなく、毅然として諸将を叱り付けたのだったな。
殿が陸遜にお与えになった剣に手をかけて、「私は一介の書生に過ぎませんが、殿からご命令を受けています。軍令を破るのはもってのほかです!!」と…

甘寧: あいつ、体は細いけど肝っ玉は太いんだな!!

凌統: …これって軽くセクハラ発言なんじゃないのー? 後で陸遜に言っておいてやるよ

甘寧: うっそ!? おいやめろって!!!!!

呂蒙: お前たちがいると、やたら話が逸れるな…(笑)。
陸遜は何も攻めあぐねて攻撃を仕掛けなかった訳ではない。劉備の軍の緊張が緩むのを待っていたのだ。
劉備が夷陵まで軍を進めて半年…ここで陸遜はようやく総攻撃を仕掛けるのだったな

孫権: うむ、長江沿いに伸びきった劉備の陣営に火をかけ、その陣を分断したため、劉備は潰走したのだ。蜀は壊滅的な損害を受け、軍船・兵糧をことごとく失い、蜀軍の兵の死体が長江を埋めて流れ下ったという…

凌統: この大勝利の決め手になる策は、ほぼ陸遜が提案した策だったから、これ以降、陸遜の言うことを聞かなかった将軍たちも陸遜に心服したんだよね

孫権: それに陸遜は、劉備と対陣していた最中、諸将が言うことをきかなかったのを私に知らせていなくてな。もし知らせてくれていたら私もその者たちを叱っただろうが、陸遜は私の力を借りることなく、諸将をまとめあげて勝利を掴んだのだ。
このような大器を配下に得られようとはな…そう思うと、腹の底から愉快になって、大いに笑ったものだ

呂蒙: 加えて陸遜は、敗走する劉備軍の追撃をしようとする諸将をとどめ、きっと魏が攻め込んでくるだろうと予測して軍を引いたのだったな。そして、陸遜の予想通り、魏は軍を進めてきた。
目の前のことのみにとらわれず、大局を見通すことができるとは…陸遜を推挙した俺としても鼻が高いな♪

周泰: ……嬉しそうだ……

孫権に絶大の信頼を置かれた重鎮

甘寧: 夷陵の後、陸遜は殿の一番の信頼を受けるようになったな

凌統: ああ。殿が諸葛亮や劉禅に孫呉の政策を説明する時は陸遜を通したし、手紙を送るにしても陸遜が目を通してから送る、って具合だったみたいだね。
呉の外交は陸遜なしじゃ考えられないって感じだよな

呂蒙: 石亭の戦い(228年)での勝利の時、殿は側近に命じて、凱旋した陸遜に自らの蓋(かさ)を差し掛けさせて出迎えたのでしたな。
しかも、殿がお使いになるような品を陸遜に下賜して、労をねぎらったという…これだけ殿に大事にされた人物は、他にいないであろう

孫権: 私が皇帝を称するようになって(229年)、武昌から建業に都を移すときも、陸遜を頼みとしたな…。
旧都の武昌には、私の皇太子の孫登を置いていくことにした。その周囲には、有能で評判の高い人物たちを置いておいたが、その中の筆頭が陸遜だ。
陸遜を武昌に置き、孫登の後見を任せるとともに、旧都、それにその周辺の地域の管理も任せたのだ。陸遜の手腕は、魏の謀臣・賈クが警戒したほどだ…陸遜が武昌にいてくれれば、魏もやすやすと攻め込んではこぬ

呂蒙: しかも陸遜は、都にいなくても常に国家のことを案じ、手紙を送って殿に意見を申し述べたりお諫めしておりましたな。
特に、法を軽くしたり部将を農業に携わらせたりして民の負担を軽くするよう申し上げることが多かったようだ。殿も陸遜の言葉を聞きいれ、陸遜と諸葛瑾殿に法律の条文を訂正させたりもなさったのでしたな

甘寧: ほんと、陸遜って殿から信頼されてたんだなぁ…。俺なんて怒られてばっかだったのに

凌統: それは自業自得でしょ

呂蒙: そうだぞ甘寧! お前が好き勝手振舞うから周りまで迷惑して…ちょっとは陸遜を見習ったらどうだ?

甘寧: うっ、おっさんまで…

周泰: ……そうだ……

甘寧: 周泰にまでツッこまれた!!

凌統: そーいや殿、しょっぱなに「陸遜に悪いことをした」って言ってたけど、全然そんなことないじゃないですか。むしろ正反対に陸遜を大事にしてるように見えるんですが?

孫権: う、実はこの後から、なのだ…。
帝位についた(229年)後の私は、どこかおかしくなっていったのだ…。そして、そのために良臣を死なせてしまった…陸遜も、その一人だ…

報われなかった忠誠

孫権: 帝位についた後…つまらぬ人物を登用して有能な臣を罰したり、台湾まで遠征して無駄に国力を消耗したり、遼東に割拠していた公孫淵に爵位を与えて財宝を送った挙句に裏切られたり…。
思い出して話すのも恥ずかしいが、そんなことをしていた

呂蒙: 俺たちには想像もつきません…殿がそのように国力を損なったとは…

甘寧: 特に「つまらぬ人物を登用して有能な臣を罰した」なんて、俺たちには信じられませんぜ! 陸遜もこの時に…なんですかい?

孫権: いや、この時は…呂壱という者に人事権を握らせた結果、呂壱が讒言をほしいままに行って丞相の顧雍や朱拠といった人物にあらぬ疑いをかけ、それを鵜呑みにした私が彼らを一時軟禁したり…ということがあった…。陸遜もこれを憂えて、武昌で潘濬とともに涙を流しながら語り合ったという…。
その後、私も非を悟って呂壱を誅殺した。…が、諸臣の諫めを聞かず、随分長い間呂壱を信用し続けたため、家臣との関係がぎくしゃくすることになってしまった

凌統: 顧雍さんって、家臣のトップの丞相だったのに、軟禁状態になるなんて…申し上げづらいけど、尋常じゃないっすね

孫権: 憚ることはない…悪いのは私だ

甘寧: この呂壱の件の時は、陸遜の諫めを聞かなかっただけみたいだな、殿は。
でも、丞相の顧雍が死んだ後、殿は陸遜を丞相に任じてるよな(244年)。やっぱ、陸遜のことを信用してたように見えるけど…

孫権: 当時、誰が見ても陸遜以外の適任者はいなかったからな…。陸遜は見通しが鋭く、戦・政治の手腕があり、人々の信頼を集め、誰よりも孫呉の行く先を考えていた。
だが、いつからか、陸遜のその力が、私にとって脅威に感じられるようになってきた。疑心暗鬼に陥っていたのだな…。それが表に出たのが、私の跡継ぎ問題のときだ。これが原因で、私は陸遜を……

周泰: ……孫権様……

呂蒙: 皇太子であった長男の孫登様が亡くなり(241年)、三男の孫和様がかわりに皇太子に立てられた。
が、孫権様は、周囲の差し金もあって四男の孫覇様を寵愛するようになり、孫和様を廃して孫覇様を皇太子にしようかと思い始めるようになられた…。
しかも孫覇様は自らが皇太子になろうと野望をたくましくし、野心のあるつまらん者たちは孫覇さまを取り巻いて派閥を構成し、孫和様を擁立する者たちを中傷したり陥れたりした。このため、重臣たちは孫和様方と孫覇様方に分かれ、国を二分する事態になった…のでしたな

凌統: 袁紹や劉表も後継者問題を引き起こしてたけど…殿までそんなことしてたなんて…

孫権: 道理に従えば、一度孫和を皇太子とした限り、皇太子から引き摺り下ろすなどありえぬ。陸遜も道理を重んじる者ゆえ、孫和を皇太子としてその位置を磐石のものとすべきで、皇太子を替えてはならない、と再三諫めてきた
が、孫覇の一党が私に取り入り、ありもしない陸遜の罪状をでっちあげて奏上してきた。かねがね陸遜の力に脅威を覚え、さらにまともな判断力を失っていた私はそれを鵜呑みにして、陸遜の諫言を一切突っぱね、この時とばかりに問責の使者を何度も送って陸遜を責めたのだ…。
純粋な忠誠心の塊のような陸遜がこんな仕打ちを受けて…その後どうなるかはだいたい察しがつくであろう…

呂蒙: ……

孫権: …忠誠を尽くしても聞き入れられず、かえってありもしない罪で責め立てられる……陸遜は憤りのあまり、まもなく世を去った…

甘寧: …なんか、俺まで胃が痛いんだけど…

凌統: でも陸遜…最後まで呉のためを思ってたんだな…。呉を裏切ろうなんてこれっぽっちも考えずにさ。孫家のために一族が瓦解したこともあったけど、そんなことも根に持たないで…。
強い憤りを発して、それゆえに死んじまうってのもさ…ひたすら呉のためを思って、呉のために尽くしたいって気持ちがあってこそだよな…

呂蒙: …そうだな。しかも陸遜が逝去したとき、家に余財はなかったという。まさに呉の社稷の臣として、最後まで尽くしてくれたのだな。俺たちよりも誰よりも、強く呉のためを思っていたのは陸遜であろう

孫権: …私もその数年後、ようやく自らの非を悔いて孫覇とその一党に死を命じ、陸遜の子である陸抗に詫びた…全てはもう遅すぎたが、私にできることはそれしかなかった…。
結局、あの跡継ぎ問題で多くの家臣を死に追いやり、呉は内紛が絶えぬ国になってしまった。陸遜の諫言を聞いていれば、こんなことにはならなかったかもしれぬな…

呂蒙: 陸遜が憤死する原因を作ったのは殿かもしれませんが…しかし一方で、陸遜にあれだけの大任を預け、その才を発揮させたのもまた殿です。
最期こそあまりに悲劇的だが、それまでは全幅の信頼を受けていたのですから、陸遜も幸せだったと思います…。
それに、陸遜は忠誠の士。主君を恥ずかしい目に遭わせることは、決して奴の本意ではないでしょう。陸遜のためにも、殿には毅然としていていただきたい…!!

孫権: 呂蒙……

周泰: …そうです…孫権様……!

甘寧: そうだな、陸遜だって、いつまでも根に持つような器の小さい漢じゃねえよ。体は小さいけど、器はでかいってな!!

凌統: …セクハラ発言その2、だな〜、これ。重ね重ね陸遜に伝えておいてやるよ

甘寧: ぎゃぁぁああ!!!マジ勘弁してくれよ!! マジで火矢の雨にさらされるって!!

呂蒙: …あんなにしんみりして、結局ギャグ落ちなのか…(苦笑)。しかし、そのために呼んだ甘寧と凌統だしな…まぁ、よしとするか。
こうなったら、二人仲良く陸遜に火矢を浴びせてもらったらどうだ?

凌統: って、何で俺まで!?

孫権: …私も混じっていいだろうか…

呂蒙: と、殿!!?

孫権: 甘寧、凌統! 君主命令だ! ともに陸遜の火矢を浴びに行くぞ!!

甘寧凌統: か、勘弁してくださいよ〜〜!!!

周泰: ……俺も…行くか……♪


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